2014年4月11日 (金)

ケーベル先生が紹介されています

R・ケーベルの紹介を載せた本が出版されました。『日露異色の群像30-文化・相互理解に尽くした人々-』(長塚英雄責任編集、東洋書店)で、「哲学、西洋音楽の普及に尽くしたケーベル先生」とのタイトルで、小松佑子さん(チャイコーフスキイ研究家)が書かれています。

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2011年6月12日 (日)

墓参

6月12日はケーベル先生の墓参りの日。午後の雨が心配だったが、曇り空のままで、ありがたかった。常連3人に新人1人が参加した。

以前に比べ、落ち葉などはなく、掃除も簡単に終わった。1月になくなられたケーベル会の提唱者で最初の会長でもあった島尻政長氏を思い、長女の書かれた文書「父 島尻政長のこと」を墓前で朗読した。文書は他の1枚と共に葬儀参列者には配られたという。また、島尻夫人からの会葬答礼文も読み上げられた。

3月11日の大地震のためであろうか、墓の周囲の石垣が一部、崩れかけていた。

ケーベル、久保勉、ストラッサーの3人の墓を掃除し、花を捧げ、墓前で感謝の祈りを捧げた。

そのあと、近くの事務所のベンチで一休みし、過去の写真を見たり、最近の発見の交換など、話がはずんだ。

初めての参加者があり、話題が絶えなかった。ケーベルはだいぶ昔の人だが、話題の中では昨日の人のようでもあった。

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2011年5月23日 (月)

ケーベル先生の墓参

6月12日(日)午後2時に東京・池袋の雑司ヶ谷霊園でケーベル先生の墓参をします。

毎年のことですが、墓の周囲を掃除して、ひと時、ケーベル先生を思う時がもてたらと思います。

ことしは、ケーベル会の発足を提唱、初代会長をつとめられ、1月に亡くなられた島尻政長氏を偲ぶ時も持ちたいと思います。

関心のある方は、参加を歓迎します。直接、現地に来られてもかまいません。

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2011年1月10日 (月)

島尻先生逝去

ケーベル会の初代会長、島尻政長氏が、昨夜、沖縄で逝去されました。

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2010年8月 2日 (月)

ケーベルの墓のこと

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ケーベルの墓にあった樹木が伐採されました。今年の6月14日の墓前での集いに、雑司ヶ谷霊園の管理事務所の方が墓に来られ、その際、会として墓の管理に協力できるむね伝えました。その後、樹木伐採の話があり、会としても費用面での協力ができるという返事はしておりました。

しかし、ケーベル会は、墓の管理権限者ではありません。ただ、命日近く、墓参と墓の清掃をしています。以前、活動が盛んであった時の会費がいくらかあり、その使い方で、墓のことで使うのが一番よいのではないかという話をしていました。

墓の管理権限者は別にいます。また、墓の中に案内板もあり、東京都教育委員会の文章もあります。従って、ケーベル会の協力は、これらの方々の承認の下にあり、その承認があれば、費用面での協力ができるということです。この点が、管理事務所の方に正確に伝わっていたか、少し不安があります。ケーベル会としては、樹木伐採の権限はありません。

今回の伐採に関しては、管理事務所の方が、これら各方面に手続きをして、伐採に踏み切ったのだと考えていましたが、東京都の旧跡関係部署には、それがなかったようです。東京都の関与は、許認可だそうで、許可しない場合もありうるとのことでした。

手続き上の問題が残りましたが、現在、樹木は伐採されています。

以前、樹木の根が張り出して、周囲の石が崩れそうになったことがありました。そのため、樹木伐採には、それなりの理由があると思いましたが、根はそのまま残っています。故人を偲ぶ場としては、以前の方がよいと思います。

●以下は、翌日、コメントとして出したものですが、あえて読まない人もいると思われますので、記事面に移します。

霊園管理事務所の所長さんから電話で樹木伐採の経緯を聞きました。管理者の承諾は得ていること、また、墓地の安全面から、樹木をそのまま放置できないとのことでした。以前も、周辺の石垣が一部崩れたこともあり、その問題は十分、了解できることでした。

残った根については枯死を待つだけで、根が周辺の石垣や墓に損害を与えることは、これでなくなったとのことでした。

墓地が旧跡である点についての手続きはいくらか残っているようですが、ケーベル会としては、おまかせするしかないと思います。

工事費用はケーベル会が負担します。これで会費の残金はなくなりました。

●この墓の件について、ご意見のある方は、コメントとしてではなく、記事として載せるようにしますので、以下にメールをお願いします。

VEM15720@nifty.ne.jp

●雑司ヶ谷霊園管理事務所の中山所長から、墓の内部の樹木伐採に関して、次のようなコメントをいただきました。

ケーベル墓所内樹木の伐採経緯について
○霊園管理者が、本件墓所の囲障が樹木により損傷を受け危険な箇所があることを発見した。また、本霊園は広域避難場所に指定されていることから、墓所使用者に対し手紙、写真を送付し是正を依頼した。併せて、都の旧跡に指定されていることから、都文化財担当係に連絡し、伐採の必要性及びその費用に係る補助金等の有無を相談した。
○使用者が来所し、是正依頼を受けた樹木は私たちが植えたものではない。どうしたらよいかとの相談を受けた。直営で処理できるものについては処理するが、樹木が大きく業者に依頼しないとできない。公園協会の公益費が使用できないか検討する旨お話したが、その後公益費は小口を想定しており事実上使用できないことが分かり、対応に苦慮していた。
○そこに、ケーベル会からのお話があり、同会の負担により樹木伐採が実現し墓所損傷の拡大をストップさせることができた。管理者として大変感謝しています。
○囲障の損傷箇所は危険なことから、関係機関に善処方依頼したいと考えています。

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2010年6月15日 (火)

年表作り

「ケーベル会の歩み」という年表を作ろうと思います。Histy という自分史のサイトがありますので、それを使わせていただきます。

電子書籍に関しては、以前、NHKテレビで特集をしていたのを見たことがありますが、既に、誰でも、原稿があれば、それをインターネットで公表できるサービスがあるようです。例えば、マガジンハウスのホームページに、それがあります。

既に、Histy には、多くの人々が参加していますが、その原稿も、別のサイトで、新たなスタイルで、公表できるかも知れません。

http://histy.jp/

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2010年6月13日 (日)

墓参

6月13日(日)午後、雑司ヶ谷霊園のケーベル先生の墓参りをしました。参加者は、ケーベル会の鈴木怜子さん、中西隆紀さん、榎本昌弘さん、それに、今回は、『歴史読本』(新人物往来社)の6月号に、「お雇い外国人と弟子たち」シリーズの⑥として、ケーベルを取り上げられた片野勧さんも参加されました。

墓の中の落ち葉を拾い集め、管理事務所からいただいたビニール袋に入れて、指定の場所に捨てました。そして、墓前に花を供え、祈りを捧げました。

同霊園管理事務所では、霊園マップを作成、ケーベルの墓も記載されているところから、訪れる人がいるとのこと。今回、同事務所は、墓の管理者の承諾を得て、墓の中の木を1本、伐採したとのこと。墓の保全に関しては、ケーベル会は管理者ではないので、決定は出来ませんが、協力することを伝えました。

会計は、鈴木さんが担当してきましたが、今回、事務局(榎本)で、あずかることになりました。

墓前での清掃、祈りのあと、霊園内で、ケーベル先生をしのんで、歓談のひと時を持つことができました。

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2010年5月17日 (月)

原点としてのケーベル

ケーベルに原点を見た時に、ケーベル会が生まれた。最初、そのことに気づいたのは沖縄の音楽教師、島尻先生だった。

ケーベルの弟子たちを見た時、そこに先生の原点性を見ることができる。プロテスタントの波多野精一、カトリックの岩下壮一が、そこにいる。

また、ご自身の信仰的転回を見た時にも、それを見ることができるかも知れない。最初はロシア正教会であった。次にローマ・カトリックであった。そして葬儀の時には、「無教会的」であった。これもまた、「原点的」ではないだろうか。二代目会長の鈴木さんは無教会の信徒であった。

ケーベルは独身であったので、当然、子供はいなかった。しかし、弟子たちに恵まれていたと思う。弟子たちは、ある意味で、彼の子供のようなものだったかも知れない。

そして、時を経て、ケーベル会が生まれた。ケーベル会会員も、また、「ケーベルの子」の中に入るのかも知れない。その時を隔てた交わりの中に参入しようとしているものかも知れない。

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2010年5月16日 (日)

今年の墓参

ケーベル先生の命日は6月14日です。ことしの6月14日は月曜日です。

そこで、ケーベル会の墓参は6月13日(日)にすることにしました。午後1時に雑司ヶ谷霊園のケーベル先生の墓に集合です。

墓の掃除をして、『歴史読本』6月号に紹介されたケーベル先生の記事の感想など、歓談の時を持ちたいと思います。

関心のある方は、直接、現地に来られても構いません。歓迎します。

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2010年4月27日 (火)

会の活動

ケーベル会という会は一体、何をしているのか、と問われれば、公的には、現在は、毎年のケーベル先生の命日(6月14日)にあわせて、直近の日曜日に墓参しているというのみでしょう。では、そんな会は解散した方がいい、と、あるいは、そんな意見もあるかも知れません。しかし、そこには、会というものは、こうあるべしといった思い込みがあるのではないでしょうか。

一人ひとりが、ケーベルと自分とのかかわりを意味あるものとして捉えることができれば、そして、ケーベル会員としての自己規定を望むのであれば、それだけでケーベル会会員としてもいいのではないかと思います。以前は規約もありましたが、今はありませんし、会費の徴収もありません。義務も権利もありません。ただ、一人ひとりの自発的な活動が、あればあるのみです。そんな自発的活動の中で、相互の交流が生まれれば、それでいいのではないでしょうか。

会が発足した時には、全国組織を考えていました。しかし、全国から集まるということは、東京在住の人にとっては、余り負担もありませんが、遠くから来る人には負担が大きいと思います。そこで、各地方での自発的活動を中心にした会を考えてもいいのではないかと、思いましたが、合意には至りませんでした。しかし、今、全国組織としての会の、まとまった活動を展開しているわけではありません。ですから、解散する意味もないと思います。ただ、一人ひとりに、ケーベルの意味、自分とのつながりに思いがあれば、それを軸にして、個人として活動する、それを他の会員につなげる、そんな会にしてもいいのではないでしょうか。

もし、ご意見があれば、コメント欄にお書きください。

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2010年4月26日 (月)

ケーベルの言葉

近くのブックオフで、三浦綾子さんの『生かされてある日々』(新潮文庫)を買った。その中(80頁)に、ケーベルの言葉があった。

歌人佐藤佐太郎氏の作った短歌で、「うつしみの生命をしみてケーベルの言葉に倚りき戦ひの日に」というもの。

そういえば、ケーベルの言葉には、格言のようなものもあった。

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2010年4月19日 (月)

雑誌の登場

『歴史読本』(新人物往来社)で連載中の「お雇い外国人と弟子たち」に、まもなくケーベル先生が登場します。6月の墓参の時までには、一読しておきたいと思います。

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2010年2月24日 (水)

故鈴木会長の遺稿集

ケーベル会の二代目の会長だった故鈴木重昭氏の小品・遺稿集『信仰史の渺(びょう)たる者』が、キリスト教図書出版社から1月22日、自費出版されました。妻玲子さん、ご子息忠信さんの編集になるもので、「ケーベル考」、「キリスト教・信仰の恩師・無教会・聖書・自伝的文章」、「遊育論・その他」の三部に分かれています。
また、そのほかにも、お二人の共編による『ミルク・ロードーー東西技術史の接点』(定価2800円、関東図書)という、論文・遺稿集も出版されています。

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2010年1月29日 (金)

ケーベルの謎、再び

私は、以前、『ケーベル会誌』創刊号(1993年12月25日、ケーベル会発行)に、「ケーベル先生改宗日の謎」という題で書いたことがある。その時は、謎であったが、今では、もう謎ではなくなった。

問いは、改宗した日は、ドイツのミュンヘンにおいてであったのか、それとも、日本においてであったのか、というものであった。ミュンヘンであったというのは、ケーベルの弟子の一人である石原謙氏である。彼は、こう言っている。

「初めはその生国の国情からギリシャ正教会に籍を置いていたが、ドイツに学生として留まっていた頃、内的生活の親近さの故にカトリック教会に籍を移し、その豊かな温か味のある神秘的内面性の雰囲気に満ち足りていたらしい」(『石原謙著作集 第11巻 回想・評伝・小論』岩波書店、335頁)

この記述があるため謎が生まれたが、これは間違いであると思う。籍を移したのは、ドイツにいた時ではないからである。

しかし、石原氏の、この記述の根拠は、あるいは、『ケーベル博士随筆集』(岩波書店)ではなかったのだろうか。そこには、「解説」の部分に、このように書かれている。

「ミュンヘンに定住するようになってから、先生の衷に眠っていた昔からのカトリック的嗜好は、再び先生の心のうちによみがえって来た。そうしてついにローマ教会に籍を移すに至ったのであった」(206頁)

この文章を見ていると、「ついに」という言葉がひっかかるのである。「ついに」という言葉の受け止め方では、この記述は間違いではないともいえる。

しかし、現実は、その言葉の前と後に、来日という大きな出来事があった。その出来事が書かれていない時、誰でも、ミュンヘンにおいてであったと思うのではないだろうか。石原氏の断定的な表現の根拠は、あるいは、この本にあるのではないだろうか。この本を読む限りでは、私もそうだけれど、ミュンヘンで改宗したように思っても仕方ないと思う。

しかし、現実は、来日後の改宗なのであった。この随筆集の「解説」の文章は、ケーベルの身近にいた久保勉氏のものであろうと思われるが、なぜ、来日の事実を書かなかったのだろうか。最近は、その方に謎の場所が移るのである。あるいは、来日後の改宗の際、影響を受けたマリア会司祭のエック氏への思い、また、当時の、現実のカトリック教会ではなくて、自らの思いの中にあるカトリック教会との親近性などが考慮されたのだろうか。そして、「ついに」という言葉は、あるいは、ケーベルの意思にあったのであろうか。

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2009年6月14日 (日)

命日の墓参

Rimg0269_26月14日は、ケーベル先生の命日です。日曜日と重なったので、誰か先生の墓に先に来ていて、掃除なども既に終わっているかとも思いましたが、その気配は残念ながら、ありませんでした。今日、集まったのは、常連の三人と、その中の一人の知人一人で、合わ せて4人でした。ケーベル、久保勉、ストラッサーの墓の周囲の草を取り、 落ち葉を掃き、花を供えまし た。(写真は上から、ケーベル、久保勉、Rimg0270_6ストラッサーの墓)。




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その後、墓地の中を散策しました。新しい発見としては、日本近代の最初 の女医となった荻野吟子さん(1851-1913)の全身像が墓の中に建ってい ました。荻野さんは埼玉県出身のクリスチャンとのことですが、その信仰 の紹介は、余りされていないように思います。当方の不勉強かも知れませんが。

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2009年5月19日 (火)

墓参り

Pict000511 ケーベル先生の命日6月14日が近づいてきました。今年は日曜日です。午後2時から、雑司ヶ谷霊園の墓地で、お墓の掃除をします。

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2009年3月29日 (日)

生涯

ケーベルの生涯を簡単に紹介したサイトがあります。

http://uninaturr.net/z-koeber.html

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2009年3月25日 (水)

寺田寅彦の思い出

物理学者で、エッセイも書いていた寺田寅彦は、ケーベルに会ったことがあります。その時の記録が紹介されています。

http://www.joqr.co.jp/meister/kunimaru/080714.html

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2009年3月22日 (日)

「滝廉太郎とキリスト教」

nancydragonさんか゛、ご自身のブログで、「滝廉太郎とキリスト教」という題で、連載されています。

http://nancydragon.iza.ne.jp/blog/entry/949822/

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2009年3月 8日 (日)

井上哲次郎のこと

ケーベルの来日のきっかけを作った人、またキリスト教批判で、井上哲次郎という人物は、よく知られていますが、名前だけで、どんな人物であったかは余り知られていないかも知れません。

『キリスト教をめぐる近代日本の諸相』(加藤信朗・監修、オリエンス宗教研究所、2008年)の第6章で、渡部清・上智大学教授が、「井上哲次郎の「日本主義的哲学」とキリスト教批判」という題で書かれています。

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●井上哲次郎(1855-1944)の旧宅あと(東京都小石川3-20-11)は、いま、東京都の指定史跡になっていて、その由来を紹介するプレートがあります。

それによると、この場所は、明治25年(1892)から亡くなる昭和19年(1944)まで、住居のあった所です。だいたい、37歳から89歳まで、ここに住んでいたことになります。旧宅は戦災で焼失してしまいましたが、書庫であった土蔵二棟(写真)が残っています。

今、この場所は、文京区立井上児童遊園(写真)になっています。

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