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2006年11月 6日 (月)

ケーベルの周辺

 札幌のMさんは、日本自由キリスト教会の教会報に、「新井奥邃の話」を連載されていたころ、その中に、ケーベルに触れたところもあります。関心のあるものとして、Mさんは、次のような点を指摘されていました。

1)ケーベル先生とクリストリーブ博士
 クリストリーブ博士は、赤司先生の「日本自由キリスト教」の元になったスイスの普及福音教会の宣教師です。スピンネルの帰国後、日本に来た人で、このクリストリーブ博士がケーベルと親しい友好関係にあったことは、ケーベル自身が語っています。
 それと、スイスのカール・ヒルティの著書を初めに知らせたのがクリストリーブ博士で、ケーベルは生涯、彼に感謝して、それを書いています。ケーベル晩年の「より近き神」の考えは、ヒルティに拠っています。

2)ケーベルと新井奥邃
 二人は全く関係のない人と思っていましたが、奥邃を調べていましたら、思わぬ所から関連が出てきました。
 本人同士は、全く会っていないのですが、『奥邃語録』ほかを残した一番弟子の永島忠重氏が晩年の横浜時代のケーベルと親しく懇意になり、たびたび訪問しています。
 これは「新井奥邃の話」の中にも書いておきましたが、不思議なつながりです。久保勉氏の『ケーベル先生とともに』の中にも、N氏の名前で、そのことが載っています。

3)野上弥生子の『森』
 ケーベルと奥邃の記事が書かれています。
 『森』は、弥生子が明治34(1901) 年ころ、15歳の時、九州・小倉から出てきて、木下尚江に連れられて、巣鴨の巌本善治の「明治女学校」に学んだ6年間の自伝的小説です。そのころ、米国から帰った奥邃は放浪していましたが、巌本善治に招かれて、明治女学校に仮住まいして、霊感が沸くと女学生たちに講話をしていたようです。ケーベルのことは、上野音楽学校との関連で記事が載っています。生き生きとした文章です。

4)イグザイル(故郷喪失者)としてのケーベル
 ケーベルは表面は決して孤独を言わなかった人です。しかし、心の深層を計ると、それが見えてきます。

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コメント

是非御教示賜りたいことがあり、メールさせて頂きました。
久保勉「ケーベル先生とともに」初版 岩波書店のP.173およびP.174に、「例の主治医石浦氏」あるいは「例の主治医」と記述されているのを見ました。
「例の」とはどう言う意味で用いられた言葉でしょうか?

御多忙中誠に恐縮ですが、御都合の宜しい時にお教え願えれば幸甚に存じます。
御高配賜ります様、何卒宜しくお願い申し上げます。

投稿: 内田 和秀 | 2015年11月13日 (金) 11時18分

コメントを見ました。このブログを最近、余り開いていないので、返事が遅れ、申し訳ありません。

「例の主治医」の「例の」の意味ですが、当方には、分かりません。

投稿: | 2016年9月22日 (木) 10時33分

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