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2010年1月29日 (金)

ケーベルの謎、再び

私は、以前、『ケーベル会誌』創刊号(1993年12月25日、ケーベル会発行)に、「ケーベル先生改宗日の謎」という題で書いたことがある。その時は、謎であったが、今では、もう謎ではなくなった。

問いは、改宗した日は、ドイツのミュンヘンにおいてであったのか、それとも、日本においてであったのか、というものであった。ミュンヘンであったというのは、ケーベルの弟子の一人である石原謙氏である。彼は、こう言っている。

「初めはその生国の国情からギリシャ正教会に籍を置いていたが、ドイツに学生として留まっていた頃、内的生活の親近さの故にカトリック教会に籍を移し、その豊かな温か味のある神秘的内面性の雰囲気に満ち足りていたらしい」(『石原謙著作集 第11巻 回想・評伝・小論』岩波書店、335頁)

この記述があるため謎が生まれたが、これは間違いであると思う。籍を移したのは、ドイツにいた時ではないからである。

しかし、石原氏の、この記述の根拠は、あるいは、『ケーベル博士随筆集』(岩波書店)ではなかったのだろうか。そこには、「解説」の部分に、このように書かれている。

「ミュンヘンに定住するようになってから、先生の衷に眠っていた昔からのカトリック的嗜好は、再び先生の心のうちによみがえって来た。そうしてついにローマ教会に籍を移すに至ったのであった」(206頁)

この文章を見ていると、「ついに」という言葉がひっかかるのである。「ついに」という言葉の受け止め方では、この記述は間違いではないともいえる。

しかし、現実は、その言葉の前と後に、来日という大きな出来事があった。その出来事が書かれていない時、誰でも、ミュンヘンにおいてであったと思うのではないだろうか。石原氏の断定的な表現の根拠は、あるいは、この本にあるのではないだろうか。この本を読む限りでは、私もそうだけれど、ミュンヘンで改宗したように思っても仕方ないと思う。

しかし、現実は、来日後の改宗なのであった。この随筆集の「解説」の文章は、ケーベルの身近にいた久保勉氏のものであろうと思われるが、なぜ、来日の事実を書かなかったのだろうか。最近は、その方に謎の場所が移るのである。あるいは、来日後の改宗の際、影響を受けたマリア会司祭のエック氏への思い、また、当時の、現実のカトリック教会ではなくて、自らの思いの中にあるカトリック教会との親近性などが考慮されたのだろうか。そして、「ついに」という言葉は、あるいは、ケーベルの意思にあったのであろうか。

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