2009年3月22日 (日)

「滝廉太郎とキリスト教」

nancydragonさんか゛、ご自身のブログで、「滝廉太郎とキリスト教」という題で、連載されています。

http://nancydragon.iza.ne.jp/blog/entry/949822/

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2009年2月15日 (日)

資料2点

(ハンドルネーム)熱田利明様から、次のようなケーベルに関する資料2点、お送りいただきました。ありがとうございました。

①小沼丹「古本市の本」(『珈琲挽き』みすず書房、1994年所収)
②戸川秋骨「ケエベル先生」(坪内祐三編『戸川秋骨 人物肖像集』みすず書房、2004年所収)

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2008年3月21日 (金)

姉崎正治

宗教学者の姉崎正治はケーベルの教え子の一人であった。しかし、仏教徒の彼は、キリスト教信仰を鮮明に出していたケーベルには距離を置いていたらしい。

姉崎は、東大で「仏教とキリスト教」という比較宗教の講義をしたが、増谷文雄は、その講義を聞いた学生の一人であり、後年、やはり仏教とキリスト教との比較を論じるようになった。

雨宮栄一氏は、著書『植村正久』の中で、日本の哲学はケーベルから始まるといった印象を書いている。ギリシャ思想と中世キリスト教を論じて、ケーベルは、西洋思想の源流を明らかにした人といえるのだろう。

しかし、今、西洋の魅力は以前ほどではない。姉崎、増谷の業績を継いで、比較宗教の分野での関心があると思う。

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2007年11月14日 (水)

漱石展

江戸東京博物館で開催されている漱石展「文豪・夏目漱石-そのこころとまなざし-」を見に行った。

ケーベル関連では、1912年(大正元)に有島生馬の描いた「ケーベル先生の像」が展示されていた。

その他、ケーベルの美学に関する授業の講義ノート「美学の起源」、また「ギリシャ哲学」講義ノートなどが展示されていた。ノートは、欧文の細かな文字で丁寧に書かれていた。

ケーベルは1893年(明治26)6月に、帝国大学文科大学の講師に就任。その7月には、漱石は帝国大学文科大学英文学科を卒業、大学院に進学した。講義ノートは、その時のものである。

漱石は、ケーベルが来日した年に、その講義を聞いていたのである。

その後、漱石は、神田駿河台のケーベル宅を訪問して、朝日新聞に「ケーベル先生」という一文を発表している。

この展示は、東北大学創立100周年記念・朝日新聞入社100年・江戸東京発物館開館15周年記念で、9月26日から11月18日まで開催。

東北大学が主催団体の一つにあるのは、そこに「漱石文庫」があるから。漱石の蔵書3000冊はじめ、資料群が、太平洋戦争での焼失を避けるため、「漱石山房」から、東北帝国大学附属図書館に移されたが、当時の図書館長が、漱石の弟子、小宮豊隆であった縁によるものであろう。

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2007年9月 2日 (日)

滝廉太郎とキリスト教

Rimg0203_2 作曲家の滝廉太郎は1901年(明治34)4月、ドイツに留学するのですが、その時の推薦状はケーベル博士が書いたということです。

滝廉太郎は、その当時、東京市麹町区上二番町の聖公会聖愛教会の会員でした。『基督教週報』(3巻17号=1901・6・21)の最終頁(16頁)の個人 Rimg0199_2 消息欄に短いのですが、滝のドイツ留学の記事が載っています。「瀧廉太郎氏 聖愛教会員にして音楽研究の為め文部省独逸留学生として四月六日横浜を出で四月二十三日コロンボを経五月九日スエスを通過したりとの報あり」とあります。この聖愛教会の現在地は、東京都世田谷区砧にあります。

Rimg0200_2 滝は結核で帰国し、大分で療養中に、聖公会の信徒であったからでしょう、大分聖公会のH・L・ブリベ(Bleby)と親交がありました。墓地は大分市内の臨済宗万寿寺境内にあります。

滝廉太郎の受洗については元恵泉女学園大学教授の大塚野百合さんが書物(『賛美歌・唱歌ものがたり』創元社)の中で発表されています。

近代日本の生んだ音楽家の中でキリスト教と関わりのあった人は少なくありません。山田耕筰、信時潔などは、家族に著名なキリスト者がいて、自身も洗礼を受けていました。

滝が受洗した記述は、『滝廉太郎の生涯』(堀正三著、昭和書院新社)にあり、滝は1900(明治33)年、番町教会で元田作之進牧師から洗礼を受け、青年部の副部長をして、賛美歌のオルガン奏者もしていたといいます。また、『滝廉太郎』(松本正著、大分県教育委員会)の著者によると、洗礼は10月7日、堅信礼は1月28日のことで、洗礼を受けた1900年の6月にドイツ留学を命じられて、翌年4月に、横浜から出航しました。教会の名は博愛教会です。元田作之進は、日本聖公会の最初の邦人主教、また立教大学の初の邦人学長で、滝が洗礼を受けた時は、東京聖愛教会の牧師でした。

大塚さんの調査では聖公会には番町教会はないことが分かり、東京・世田谷の砧にある聖愛教会が、滝が洗礼を受けた教会であることが分かりました。この教会の名称が以前、「博愛教会」だったのです。

『聖愛教会百年史 聖愛の友』(1989年刊)によると、この教会は1889(明治22)年1月22日、麹町下2番町24番地に「グレース エピスコパル チャーチ」として設立され「博愛教会」という名を使っていました。その後、滝の受洗した翌年の1901(明治34)年1月に、上2番町1番地に新会堂が出来て、教会名が「聖愛教会」に改称になったのです。それは滝がドイツに向かう直前のことでした。

『百年史』には、12月31日の除夜祈祷会に滝が出席した記録が残っているようです。しかし、関東大震災と戦災のために、この教会の滝に関する記録は失われてしまったようです。

滝が受洗した年は、日本の近代音楽の歴史にとっても忘れられない年です。彼は当時、東京音楽学校で学んでいたのですが、同校の「中学唱歌」の懸賞募集に3曲を提出、それが入選したのです。その1曲が不朽の名曲「荒城の月」でした。時期を調べると、「荒城の月」が発表されたころに作曲者の滝廉太郎は聖公会の教会でキリスト教の洗礼を受けたことになります。

(写真は千代田区一番町にある滝廉太郎の居住地跡の記念碑)

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2007年8月25日 (土)

流行

新カント ヴィンデルバント 名著あり
 流行避けよ 師は言うのだが

新カント派のヴィンデルバントの著書に、ヘルダーリンを題材にしたものがあり、大学生の時、ドイツ語で読んだことがありました。古典重視のケーベルは、新カント派には流行ということで余り関心なく、弟子の桑木厳翼は、新カント派に立つ自分と、そこで距離を感じていたようですが、ある程度、「ふらふら」するのも、話題提供で必要ではないかと思います。

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2007年8月 3日 (金)

深田康算の図書

「ケーベル先生の学僕で深田康算という人がいたが、その人にケーベル先生は多くの美学関係の図書をあげていて、…その深田康算の蔵書はすべて昭和三年に台湾大学が創立された時に台湾大学に寄贈したことがわかり」
(『私が歩んで来た道』島尻政長著、103頁)

深田康算は、久保勉氏の前に学僕だった人です。なぜ、台湾大学なのかは分かりません。

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2007年7月29日 (日)

ケーベルの学問

ケーベルの 学問を継ぐ その意図は
 信徒の自覚 深めるために

分野としては「キリスト教哲学」であってもいいと思います。しかし、個人の自由です。

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2007年4月12日 (木)

教養主義

江戸時代 教養豊か 懐かしや
 内を耕せ 外は移ろう

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2007年4月10日 (火)

『三太郎の日記』

三太郎 信仰綴る その日記
 教養の軸 検証せねば

『三太郎の日記』に内村鑑三が出てきます。弟子になりたいが、うまくやっていけるか不安なので、遠くで本を読んでいるだけにする、というものです。信仰と教養について、どう考えていたのか、検証したら面白いかも知れません。

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