2007年8月 5日 (日)

共立学校

Rimg0188 共立は 神も立つなり 人も立つ
 その原点を 示す言葉か

■共立の意味が、短歌のようであるかどうか、それは分かりません。学校で、共立がつくものが他にもあります。写真の上は、共立学校のあった淡路町公園、下は、「開成学園発祥の地」の碑。共立学校は現在は開成学園になっています。
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2007年8月 4日 (土)

駿河台

Rimg0186 駿河見る 台地にありて 悠久の
 国の未来に 福音を蒔く

戦国を 終えて統一 その土台
 太平の世に 検証の目を

(写真は旗本・大久保彦左衛門の居住跡の碑)

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2007年7月31日 (火)

漱石の記念碑

Rimg0182_3 駿河台の坂を下っていくと、右手に千代田区立お茶の水小学校・幼稚園がある。その柵の外側に、一つの記念碑があり、こう書かれている(写真)。

「吾輩は猫である
  名前はまだ無い
明治十一年 夏目漱石
    錦華に学ぶ」

お茶の水小学校は、明治7年創立の錦華小学校と、近隣の二つの小学校が統合されて、平成5年、現在の名称になった。だから、ここは漱石の母校である。

漱石は、現在の東京都新宿区喜久井町の生まれである。早稲田大学の近くである。

市谷柳町の市谷小学校(現在の新宿区立愛日小学校)から錦華小学校と小学校を転校した。

なぜ転校したのかと言えば、それは東京府第一中学(府立一中、現在の日比谷高校)に入学するためとも言われるが、資料によっては不明ともいう。しかし、明治12年(1879年)、12歳の時に東京府第一中学に入学した。

その後、明治16年(1883年)に、16歳の時、駿河台の英学塾の成立学舎に入学、ここでも駿河台との関係が出来た。

後年、漱石が、ケーベルを自宅に訪ねたことは知られている。その記事が朝日新聞に載った。漱石には「ケーベル先生」「ケーベル先生の告別」の作品がある。

お茶の水界隈には、ケーベル、漱石の足跡が残っている。

Rimg0063 ←雑司ヶ谷霊園にある漱石の墓

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風景一変

Rimg0178 大学が 二つ競いて 風景が
 一変したと 駿河の坂は

明治大学と日本大学の新しい建物・施設で、駿河台の風景は一変しています。(写真は明治大学)

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2007年7月29日 (日)

お茶の水界隈

カテゴリーに「お茶の水界隈」を新設しました。ケーベルの周辺(地理的、時代的)という意味で、ケーベル研究のためにも、意味があると思います。

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ニコライ堂

近代日本の夜明けは、おそらく、御茶ノ水界隈から始まったのである。昌平坂学問所があり、江戸時代の官学センターであった。現在は湯島聖堂になっている。そして橋を隔てて、ニコライ堂がある。その橋は、二つの聖堂を結ぶ意味で、聖橋(ひじりばし)と呼ばれている。

ニコライ堂はロシア正教会の教会である。近代日本において、ロシア正教会の影響は小さいと思うが、この地に堂々と建っている。どういう意味があるのだろうか。

もちろん、あってはいけないという問いを考えているのではない。現に「ある」ということを踏まえて、どう考えたらいいのかという意味である。近代日本は、ニコライ堂を見ながら、何を思ってきたのだろうか。

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