« 「海ゆかば」 | トップページ | 死は悲しい? »

2005年5月15日 (日)

2つの実存主義

私は、昭和40年代の前半、大学生活を送った。当時は、大学紛争の時代で、私が卒業する間際に、紛争が東大から勃発し、私の大学でも学生による校舎占拠が続いた。当時は、実存主義という言葉が、ひんぱんに使われていた。同級生のK君は、キェルケゴールを読むのだといって、独学でデンマーク語に挑戦したのには驚いた。しかし、この実存主義には大別して2種類あって、その区別を明確にしておかないと、混乱するようになる。
ジャック・マリタンによれば、実存主義には根本的に異った二形態がある。
一方は<実存の優位を肯定するが、しかし本質乃至本性を破壊し或いは取り除くものとして、また知性の窮極の敗北を表明するものとしてである>。しかし、他方は、<実存の優位を肯定するが、しかし本質或いは本性を抱擁し助けるものとして、また知性と叡智との窮極の勝利を表明するものとしてである。--これこそ、と彼はつけ加える、私は本当の実存主義であると考える>。(『実存主義』文庫クセジュ=ポール・フールキエ著、矢内原伊作、田島節夫訳、白水社=128頁、参照)
前者の実存主義を教会は警戒し、また否定してきたように思うが、後者に対しては肯定するであろう。教会によって肯定される実存主義もあるのである。マリタンにとって、このような実存主義は、聖トマス・アクィナスのそれであろう。こんな視点も、どこかでおさえておきたい。

|

« 「海ゆかば」 | トップページ | 死は悲しい? »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/104898/4137157

この記事へのトラックバック一覧です: 2つの実存主義:

« 「海ゆかば」 | トップページ | 死は悲しい? »