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2005年5月 7日 (土)

心のケア

地震、津波、列車事故と、天災、人災が続き、多くの人々が死というものに突然、襲撃されている。そして、「心のケア」「心の癒し」という言葉が救援活動の中で語られている。人が体であると共に、心でもあるということ、そして、体と同様に、心にも医者が必要なのだということ、この視点は大切な視点である。しかし、体をなおすように、心もなおすことができるのだろうか。体は客体、心は主体である。治療の仕方は違うのではないか。死は人間にとって、限界状況である。そこで、この限界状況の、こちら側に主体を戻すことが「心のケア」「心の癒し」というものであれば、そこに根本的解決はあるのだろうか。体の癒しのように、心の癒しを考える傾きには、そのような取り組みが意図されているように思う。しかし、主体は死という限界状況のかなたを目指すべきではないか。誰でも、体は死ぬのである。しかし、悲しむべきは主体の死である。それは主体が、どこかでそれを拒否しているからだ。ニヒリズムというものが、人間にとって最大の敵、課題なのだが、災害による「心のケア」「心の癒し」というものは、それをも治療の範囲としているのだろうか。

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