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2005年5月 5日 (木)

信仰の必要性

人は生まれながらにしては、正しく生きることが出来ない。そこに信仰の必要性がある。信仰は倫理条項を守るためにあるのではない。人という基本が腐っていて、倫理は、その腐敗を教えてくれるだけである。倫理は信仰の必要性を教えてくれる。信仰は、人の基本に関わり、それによって人としての倫理条項を全うできるようにしてくれるものだ。人生観、世界観、価値観に信仰は作用する。人の命の基本、存在しているという基本は、そのままでは不安定で、自らをもてあましている。信仰は、そんな自己に永遠なるものを注入してくれる。信じたからといって、人間の命の基本がなくなるのではない。別のものになるのでもない。ただ、新しい命が加わり、その対話の中で、新しい生活が始まる。そこには、自らが自らをもてあますといった絶望はなくなる。 肉体は究極的には自分ではない。なぜなら、肉体は存在し、また存在しなくなるからだ。しかし、自己は存在し続けることを欲している。それを得るためには、現在では、ただ神との交わりの中で実感する道だけが残されている。この実感の中に、自己自身が安定し、それに従い、肉体も休まるのである。

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