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2005年5月19日 (木)

中世の学問

中世の学問と言えば、スコラ学で知られる。この学問については、以前、悪い評価ばかり聞かされ、偏見があった。信仰を得るには、何も、これを学んで学者になるには及ばない。これを学ぶことで信仰が得られるわけではない。確かに。信仰は一種の飛躍であり、瞬間的な異次元への誕生であれば、理性の探求の延長上に、自然人の可能性の中にあるのではない。学問と信仰は違う。あの大学紛争のころ、中世の学問を放り投げて、信仰に帰る運動が始まった。どうして、日本人が信仰を得るために、スコラ学のひとつの要素であるギリシャ哲学を学ぶ必要があるのか。信仰は哲学とは別のものであれば、日本人が信仰を得るためにギリシャを媒介しなくともよいではないか。確かに。しかし、ギリシャが理性の普遍性を訴える時、その普遍性の中には日本も含まれている。スコラ学は、中世という制約の中で生まれたものだが、信仰と理性の関係の探求は、中世の制約を超えている。その点に、一つの回答を与えている中世は、やはり時代の制約を超えるものを持っていると言えるのではないか。

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