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2005年8月16日 (火)

シュプレヒコール

終戦記念後の翌日、東京駅八重洲口前の通りを、在日中国人たちが自分らの権利を主張して、のぼりを持ち、シュプレヒコールを叫びながら、行進していった。のぼりの日本語は理解できたが、中国語のシュプレヒコールは理解できなかった。あの昭和40年代の学園紛争の時にも、デモの中で、多くのシュプレヒコールが聞かれた。このシュプレヒコールの形式に注目した音楽家がいた。彼は、私が長年、勤務した会社の創立者であった牧師の長男であった。これは、彼の中では着想に終わったのかも知れない。しかし、デモにしろ、座り込みにしろ、シュプレヒコールにしろ、すべて祈りのバリエーションではないだろうか。中国、韓国の反日運動の人たちも、あんな形で、祈っているのではないのだろうか。暴力とか、違法性とか、そんな視点のみでなく、祈りとして見たらどうなのだろうか。迷惑な祈りであるが、その視点がないと、対話できないし、解決もないだろう。それにしても、中国で、反日のプラカードを持つことも規制されているようだが、日本にいると、それもまたやりすぎに思えるのである。

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