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2005年9月23日 (金)

洗礼

一般的には洗礼をバプテスマという。その場合の洗礼は滴礼である。牧師、あるいは神父が信徒になろうとする人の頭に水をたらす形で行われている。しかし、滴礼はバプテスマではないという主張をしている人たちがいる。バプテスト教会の人たちである。彼らは浸礼こそがバプテスマであるという。全身を水にしずめる形で行われている。この教会には、自覚的な救いの体験(新生という)の強調があり、私は個人的には共感を覚えるものである。しかし、浸礼もまた、一つの形式、儀式ではないのか。その形式と新生体験が一つであり、その形式の行われる時刻に体験もまた生まれるという主張はしていないと思われる。であれば、浸礼という形式に、それほど固執する必要があるのだろうか。洗礼によって生ずることは、見える教会の会員となるということである。しかし、大切なことは、見えない教会の会員となることであり、それを生み出すのは神の霊である。

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