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2005年9月18日 (日)

ぶどう園のたとえ

聖書・マタイによる福音書20章に、ぶどう園のたとえがある。9月18日の日曜日、教会で司祭が、この部分をテキストにして説教した。私は二個所、注目していたが、説教ではどちらも触れなかった。一つは、「最初に雇われた人たち」はユダヤ人、「最後に来た者」は異邦人であろう、ということ。二つめは、報酬の1デナリオンは、永遠の生命を意味しているのではないか、ということ。聖書は、解釈されなければならない書物である。その解釈によって、論争を呼び、国が倒れ、新しい国が生まれる、そんな書物である。

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