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2005年9月27日 (火)

信仰の背景

信仰の背景を考えるために、こんな言葉を選びました。

大疑現前
大死一番
身心脱落
脱落身心

大疑というのは、理性の対象に対する疑問ではありません。それは理性自身に向けられた疑問です。だから、実存という背景を持っています。余裕のない疑問です。地獄に落ちるような恐怖・不安を伴っています。おぼれる者は藁をもつかむといった状況の中での疑問です。だから、ある意味では選択の余地などない、そんな状況が続いています。そういう中で、自由意志などあるだろうかと言えば、確かにないかも知れません。これが信仰の背景と思います。そして、大死という主体の死がきます。それは即、復活に結びつくというわけです。信仰の背景は、主体が安全で、余裕があり、科学的な目を持つことができる、そんな状況で可能なのではありません。しかし、それでも、藁をつかむ意志が必要と思います。助け舟に乗るのは、その人の自由であろうと思います。人には自殺を選択することもできるのだと思います。

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