« 生活の中に | トップページ | 愛の三態 »

2005年9月 4日 (日)

中世の二義性

歴史的中世は常に歴史的近世の前に屈せざるを得ないのは、中世より近世の方が、歴史的には常に「かの日」により近いからである。しかし、形而上的中世は、常に新しい。それは神と人との分裂を、その本質とする近世を終わらせ、新しい経験の地平を人類の前に提示するからである。その形而上的中世は内容的には一貫したものであるが、その核心はアウグスチヌスからトマスに至る上昇線を貫いているものである。

|

« 生活の中に | トップページ | 愛の三態 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/104898/5776994

この記事へのトラックバック一覧です: 中世の二義性:

« 生活の中に | トップページ | 愛の三態 »