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2005年9月23日 (金)

強制的宗教

信仰を強制する宗教を、私は余り好まない。もちろん、伝道とか布教を否定するつもりはない。それらは宗教活動の核心でもあるからだ。救世軍というキリスト教の一つの教派がある。伝道熱心で、何度も勧誘し、あきらめない。しかし、相手の自由意志を否定して、信仰に入れることはしない。なぜなら、信仰とは自由意志を条件とするからである。自由意志をもたない信仰であれば、そこに救いが及ぶとは思われない。カトリックでは、幼児洗礼というものがある。本人の自由意志を超えたところでの、入信の儀式である。それで本人は信者になったつもりかも知れないし、周囲も、そうみなすかも知れない。しかし、本人が自覚的に救いの体験をするまでは、やがて、この着物を着ていることの矛盾を感じ続けるのではないだろうか。自覚的な救いの体験は、他人の強制で入信することで得られるものではない。その意味では、自覚的な救いの体験は、入信の儀式よりも重要である。私は、無教会の内村ほどに洗礼を無用と思わないが、水の洗礼よりも、霊の洗礼を重視する点では、内村と同じである。現在、宗教は多い。悩む人は、宗教の選択をすることができる。自由意志によって宗教(宗派)を選択する人は、自由意志によってその宗教(宗派)を放棄する。そんな現象もある。しかし、真実の信仰が現れて、真実の救いが体験された時、それは、その人のうちで持続していくのである。改革派教会の信仰の中には、一度救われた魂を神は見捨てない、という確信があるという。教派は、できたら変えたくない。しかし、変えざるを得ない場合もある。しかし、生涯の、ある時点から始まった自覚的な神との交わりは、その後、いつまでも続くのである。

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コメント

> 管理人様

先日、勝手ながらTBさせていただいたtenjin95師の仲間です。ご質問をさせていただきたいのですが、よろしくお願いします。

> なぜなら、信仰とは自由意志を条件とするからである。自由意志をもたない信仰であれば、そこに救いが及ぶとは思われない。

> 自覚的な救いの体験は、他人の強制で入信することで得られるものではない。

これら二つは、明らかにtenjin95師の記事に対抗した物言いであると思われますが、残念ながら正当な理由が示されておらず、管理人様のご意見だけでは正直何でこうなるのか分かりません。おそらく直観的にこのように仰っているのだとは思いますが、そもそも真実の救いとか、自覚的な救いとか、非常に抽象的な表現であり、他者へ説明するには不適当です。

願わくは、この辺りを管理人様のご意見を理解しようとしない私にも分かりやすく説明していただければ幸甚に存じます。

投稿: ワンクリック | 2005年9月23日 (金) 17時49分

質問への回答
質問、ありがとうございます。私は仏教徒ではありません。キリスト教の信徒です。その立場から答えます。そこでは、信仰とは神に対する内心の承認です。その承認の前には、もちろん、神からの語りかけ、決断の要請があります。その神からの語りかけとは、聖書の中でのイエスの言動です。それが現在にも時空を超えて現れてくる。それに対する承認が信仰です。その承認というのは、その人の自由意志によるものではないでしょうか。自由意志によらない承認というものがあるのでしょうか。神は心の中を見られるのですから、そこでは嘘は通りません。そのような神の語りかけに対する真実の応答としての信仰が救いの条件です。救いは、その信仰と同時に、内心に感じられるものです。それを自覚的な救いの体験と言っています。他人の強制で、たとえば洗礼をうけて、教会の会員となることで、救いが得られるものではありません。もし、そうであれば、洗礼には魔術的な作用があることになります。たとえ、他人の強制で教会の会員となったにしても、本人の承認があって、その信仰に応じて、神の救いのわざがあるというべきだと思います。自覚的な救いの体験とは、心身脱落・脱落心身の実存転換の原点であり、色即是空・空即是色の風景転換の原点でもあります。

投稿: | 2005年9月23日 (金) 18時49分

> 管理人様

返答ありがとうございます。されど、納得できません。

> それに対する承認が信仰です。その承認というのは、その人の自由意志によるものではないでしょうか。

「よるものではない」と思います。つまり、「神に自覚させられている」という受動的、被曝的体験から「自分が承認を強制される」のであり、自由意志であれば、やはり自由意志で否定することも可能ですので、どこまでも「信仰の完成=救済」は自由意志などであってはなりません。これは、すでにログ冒頭に見る管理人様の好嫌の問題でもありません。内村師などに見る歴史的事実であります。

なお、「自覚的な救いの体験とは、心身脱落・脱落心身の実存転換の原点であり、色即是空・空即是色の風景転換の原点でもあります。」とのことですが、やはりこれでも抽象的です。それから、「心身」ではなくて「身心」ですよね。間違いです。

「実存転換」とはどういう意味ですか?
「風景転換」とはどういう意味ですか?

難しい言葉で説明を放棄しないで、具体的かつ分かりやすく説明していただければ幸甚に存じます。

投稿: ワンクリック | 2005年9月24日 (土) 07時21分

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