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2005年9月28日 (水)

菅円吉教授

立教大学の菅円吉教授に生前、何度か会ったことがある。教授の紹介していたロシアの亡命哲学者、ニコライ・ベルジャエフを卒論に選んだのが、きっかけであった。昭和43年ころ、教授は、当時、バルト一辺倒であり、立教の研究室で会った時も、バルトの学びを勧められた。その教授が昭和16年に出した本に『転換期の基督教』(畝傍書房)がある。その中に、「今や近世文明が亡んで、新しき中世紀が出現せんとしつつある時に当り、其の新しき中世紀の魂となるべき新しき宗教、新しき基督教の方向を示している人は、弁証法神学の代表者達、その中でも特に大立者のカール・バルトだと云ってよいと思う。」(2頁)とある。ここに「新しき中世紀」という言葉が使われている。この言葉は、ベルジャエフも使っていたし、当時としては珍しくなかったのであろう。しかし、どちらかというと、カトリックの思想家が使いたがる言葉ではないか。歴史的中世というのはカトリック信仰の時代だったのだから。バルトは当然カトリックに批判的であり、自分の神学運動が新しき中世に向かうべきものと考えたであろうか。バルトに、そんな言及があるのだろうか。

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