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2005年9月 7日 (水)

迷信

カトリック教会は、歴史的にはそれと対立的な関係にあるプロテスタント教会に比較して、迷信的なもの、偶像崇拝的なものに寛容であるという印象を持たれている。それはなぜなのだろうか。それは自然本性的なものに対する尊重から来ているように思う。人間の自然本性は罪のために汚れている、その汚れを中心にして見るか、それとも、その汚れと同時に本来の自然本性のあり方にも注目するか、その視点の違いがあるように思う。罪の支配下にある自然本性は迷信の温床である。そして、その場合、自然本性それのみでは十分ではないことを中世の人たちは知っていた。しかし、自然本性が失われれば、人間の救いの課題もなくなるのである。迷信は正しい理解への一里塚であるが、迷信を固定化し、それにとどまるのは、正しいカトリック信仰ではないと思う。

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