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2005年9月11日 (日)

中世へのまなざし

なぜ中世を見るのか。それは、キリスト教哲学の可能性を信じ、その再建を願うからである。中世は、ギリシャとヘブライの思想と信仰の綜合であった。自然と超自然との関係が問われ、その調停と綜合が企画された。それがキリスト教哲学であった。もちろん、この立場は近世の信仰によっては否定されるかも知れない。その否定に真理の一面を認めつつ、さらに広い視点を中世思想は提供するであろう。「中世思想の研究は、われわれを助けて、キリスト教哲学の概念を復興させ、その必要があれば、それをうち立てさせることによって、われわれを助けて、おそらく歴史の大きな空所を埋めさせると同時に、そのおのおのが真理の一面を説く、もろもろの哲学的立場を調停させるのである」(「中世哲学の精神」下、筑摩書房、E・ジルソン著、服部栄次郎訳、211-212頁)と、ジルソンはいう。

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