« 理性のために | トップページ | 田舎暮らし »

2005年10月14日 (金)

競争社会

日本が目指す改革社会は競争社会である。日本の根深いところにある「階級社会」の非合理性が、それで打破されるのであれば、それもよいだろう。日本には社会主義的発想が、さまざまなところに生きているから、純然たる資本主義社会になることはないだろう。しかし、その方向に舵が取られている。競争社会は、もちろん勝ち組と負け組みを生み出す活動社会である。近世の産物でもある。もともと宗教的発想があった。世俗内禁欲というものだ。修道院を世俗にもってきたものだ。中世の修道院の弊害への反省があったのだろう。勝ち組になって、自分の宗教的疑いを解消させることが狙いだったともいう。勝ち組になることが、神に選ばれていることの証明という考えは根本に自力救済の考え方があり、自力救済はキリスト教の教えではないのだが、そのように言われている。こうして社会が活動的になる。そんな社会がいいのだろうか。今はいいといっている。今回の選挙で自民党に票を入れた多くの国民は、公務員という「特権階級」への感情的反発が働いたのだろう。だから、「階級社会」の非合理性、不透明性への反発があったと考えてもいい。これは、社会的には何の特権もない私も同感した。しかし、社会全体が活動的になり、競争社会になり、目が外にばかり向くようになるのが、果たしてよいのだろうか。その中に、人間の最終の幸福があるのだろうか。中世の修道院がもっていた観想的生活が失われたら、大きな損失ではないか。神と共に生きるということは、宇宙・万物との調和の中で生きることでもある。そんな生活も大切ではないだろうか。NHKのラジオ深夜便を愛する人であれば、このような気持ちが分かるだろうと思う。

|

« 理性のために | トップページ | 田舎暮らし »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/104898/6391783

この記事へのトラックバック一覧です: 競争社会:

« 理性のために | トップページ | 田舎暮らし »