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2005年10月 7日 (金)

エキュメニズム論の断面

宗教改革の時以来、プロテスタント側の教会理解では、カトリックも諸教派の一つになった。しかし、カトリックの自覚の中では、教派になっていない。この自覚が、元来プロテスタント主導だった教会一致(エキュメニズム)への参加を躊躇させてきた原因であろう。しかし、その意識を持ちつつ、エキュメニズムへの道を選択したのが第二バチカンであった。すなわち、教派の一つというレッテルに対して、その<事実>に耐えよ、ということかも知れない。しかし、であればこそ、プロテスタントの保守派には警戒感があるのである。なぜなら、エキュメニズムはローマ・カトリック教会への一致を意味するのではないかという危惧である。実際、それ以外に考えられないではないか。だから、プロテスタントの保守派にはエキュメニズムへの道はプロテスタントの終焉と考えることにより、最初からエキュメニズムそのものに反対という立場もあるだろう。これはこれで分かりやすいし、終始一貫しているのである。エキュメニズムの目的は「見える教会の一致」である。「見えない教会」には分裂も不一致もない。だからプロテスタント保守派には、その事実を指摘して、エキュメニズムの必要性そのものに疑問を呈する場合もある。そこには、自分の教会と本来の教会(見えない教会)との関係のみがあって、他の見える教会との関係は、どうでもいいといった考え方があるようだ。

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