« ポストモダンの思想 | トップページ | 愛の目的 »

2005年10月31日 (月)

近世の疑義

近世はルネサンスと、そのあとの宗教改革で始まった。特に宗教改革で中世のキリスト教共同体が決定的に崩壊した。そのキリスト教共同体の中心にはローマ・カトリック教会があった。そして、宗教改革の合言葉、あるいは旗印は「信仰義認」で、プロテスタント教会が生まれた。このへんは教科書に書いてあることである。

ところで、プロテスタント教会が「信仰義認」で抗議したということは、対抗するカトリック教会の立場は「信仰義認」ではまずいであろう。「行為義認」か、あるいは「信仰義認」と「行為義認」の混合形態か、ということになるだろう。しかし、近年、いや違うのだ。カトリック教会も「信仰義認」なのだということになった。

プロテスタント教会は、カトリック教会が、近世・近代を超えて、現代において、ようやく「信仰義認」にたどりついたと思っているかも知れないが、事実は、既に中世であっても「信仰義認」であったのだ。宗教改革のあとの公会議で、聖書と共に参照された中世の神学者の書物にも、「信仰義認」の立場が書かれていたのである。
であれば、近世が、教科書にあるような原因で生まれたのではないことになる。

近世・啓蒙期において、中世は「暗黒」と形容されたが、確かに近世には光があった。われわれの知る西洋の光は近世のものであろう。しかし、信仰義認の合意が出来たということは、近世が何かの間違いで生まれたということであろう。そして、それが分かってしまった以上、近世・近代はその使命を終えたのではないか。いくら、信仰義認を叫んでも、対抗するキリスト教共同体はない。

|

« ポストモダンの思想 | トップページ | 愛の目的 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/104898/6775438

この記事へのトラックバック一覧です: 近世の疑義:

« ポストモダンの思想 | トップページ | 愛の目的 »