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2005年10月 5日 (水)

死からの発想

人は普通、生からの発想をする。それは生中心の発想と言ってもいい。死については余り考えない。それはタブーでもあり、普通の生活の中では意識の下に抑圧されている。何か不気味なもの、不吉なものとして、死はある。しかし、死の現実は、時に意識の上に顔を出す。その時、生中心の人は虚無意識にとらわれる。
この虚無意識の克服が、人間にとってのまず第一の課題である。
克服した人による新しい発想とは死からの発想である。生きる日々を数えるということだ。我々は、もちろん地上に永遠に生きるのではない。限りある日々を地上で送るのだ。その限りある日々を数えること。生の彼方に死があり、見知らぬ人のように死がやってくるのではない。死は、いつか分からないがやってくるが、それまでのわずかな日々が我々に与えられている。ある意味では死刑囚の意識かも知れない。しかし、死刑囚の場合、死が怖さを伴って待たれるかも知れないが、虚無意識克服による発想の中では、そのような怖さはないであろう。
人間における死の問題とはニヒリズムの問題である。

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