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2005年10月 5日 (水)

カルト宗教の克服

ちょっと古い話だが、まで現在進行形であり続ける話に、オウム真理教の事件がある。「朝日新聞」(99年9月18日)に、菅原伸郎氏が、オウム事件に関連して、最初は、キリスト教でもカルトの一種だった、オウムがカルトであるとしても、取り扱いは慎重であるべきだといった指摘があった。
確かに、イエスの宗教は、当時としては、カルトの様相を呈していたかも知れない。しかし、その性格を克服していく。そこには何があったのだろうか。キリスト教はローマ帝国で公認宗教となり、次に国教となる。その過程で、カルト色は払拭されていく。社会・共同体にとって危険な宗教ではなく、逆に倫理の基準となっていく。
フロイドの弟子の一人、エーリッヒ・フロムは「自由への逃走」の中で、キリスト教がローマ帝国の中で、最初は迫害されたが、のち、国教となっていく過程で、体質の変化が起きた、革命的要素はなくなり、体制的になっていったという。確かに、外面的には、そう見えるだろう。しかし、そこで、キリスト教の本質が変わったとは思わない。その過程に、カルト宗教を超え、それを吟味する理性的検証に耐える内容が復活信仰の中にあった。ギリシャの哲学、ローマの法制を取り込みつつ、中世を形成したいった内実の中に、カルト的と見られた初期同様に変わらないものがあったと見るべきではないだろうか。

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