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2005年10月28日 (金)

女性の天皇

女性が天皇になる道が開かれようとしている。別に問題がないのではないだろうか。私は賛成です。聖徳太子が摂政をしていた時の推古天皇は女性であったし、歴史的に例はあったのだから。

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コメント

なかなか注目するべき貴重なご意見ですね。
ところで、日本の場合、やはり皇室の血統に対する信仰のようなものが未だに民衆に根強く残っていると私は思います。

であれば、今後天皇家の女性に婿として入った者およびその外戚が大きな影響力を持つことが考えられます。特に或る宗教団体がそのようなことを行って精神的な帝王として君臨する可能性がある昨今、私は反対なのです。名前を出してしまえば、もし婿として入った者が創価学会だったりしたらどうなるね?

投稿: ワンクリック | 2005年10月29日 (土) 04時19分

皇室の血統に対する信仰のようなものがあるということですね。昔、日ユ同祖論というものがあり、今も関心を持っている人たちがいます。その中にある神道とユダヤ教との比較は面白いものです。両方とも民族宗教で普遍宗教ではありません。ユダヤ教からキリスト教が生まれるのですが、そこで民族宗教の壁が越えられました。新約聖書の冒頭には系図が出てきますが、その最後に来る人は、新しい共同体の構成員について、こう言っています。「血すじによらず」。神道が、基本的には無理としても、民族の壁を超える普遍的意義を持っていることが理解されるのであれば、近隣の他の国々にも抵抗は少なくなると思います。
創価学会への心配ということですが、創価学会の普遍性の問題と思います。人は入社の時には退社は考えないのですが、いつしか、退社に追い込まれる時が来て、退社します。それはそれでいいのではないですか。仏教(法華経・日蓮宗)が意義のあるものであると世界の人が認めれば、抵抗はなくなるでしょう。世界60億の人口のうち、6分の1の約10億はカトリックというキリスト教人口なのですが、その中で創価学会は頑張っているのかもしれません。世界に通用するものは何か、それが肝要と思います。

投稿: | 2005年10月29日 (土) 09時40分

なるほど。
しかし、であれば天皇制そのものを無くした方が早いと思います。どちらにしろ、遺伝的限界が来て、終わるのであればそれは一番綺麗な終わり方なのかもしれません。

それから、現に多くの者がその組織性に苦悩する昨今、創価学会は明らかに世界の全ての人に救済をもたらすとは思えません。この管理人さんのご意見は、ただ反論のための意見ですか?

それに、宗教が普遍性を持つことは、理念的な統一を意味するとは思いません。そういった素朴な考えを管理人さんが本気で仰っているのか分かりませんが、この辺は、最低でもW・ジェイムズの『プラグマティズム』か『宗教的経験の諸相』くらいは読んでいただきたいです。

投稿: ワンクリック | 2005年10月29日 (土) 17時19分

敗戦の時、天皇制の存続を求めた人に米国人の宣教師がいたようですが、その時のGHQの決定と憲法が今も続いているので、無くすためには国民全体の意思が必要ですが、そうはならないでしょう。

私は創価学会を余りよく知れません。創価学会による救済と言った時、その救済とは、どんな意味であるのか、知りません。

宗教の普遍性の探求が理念的統一にならないということは、みな考えています。かつての中世とは違うのですから。しかし、普遍性を考えない時には、対話も生まれないと思います。W・ジェイムズの「プラグマティズム」「宗教的経験の諸相」は、以前、文庫本で読んだことがあります。特に、「宗教的経験の諸相」には貴重に情報を多く提供してもらいました。その中に、米国の伝道者、C・G・フィニーの回心体験の記述(382-384頁、岩波文庫)があり、印象に残りました。ただ、この本では、大統領フィニーと訳されているのですが、大統領は誤訳と思います。この本は、今でも読まれるべき本と思います。

投稿: | 2005年10月29日 (土) 19時28分

それではお聞きいたしますが、新しい共同体の構成員が血筋によらないとのことですが、これが皇室を意味しているのかは存じません。大変に管理人様の文章は曖昧に書かれています。そうであるが故に、皇室であるとも取れるので、敢えて取りまして、もし血筋によらないとすれば、皇室を維持する必要はあるのでしょうか?私はないと思いますし、そもそもそのような“伝統”など無かったのです。

また、女性天皇がかつていたから良いのだということですが、一代限りの女性天皇は認めても良いかもしれません。歴史的に存在しましたから。されど女系天皇は存在しませんでした。現在の議論はこちらに入り込もうとしております。それを認めるのは伝統に則しておらず、したがって認めるには相応の理由が必要です。

創価学会を知らないとのことなので、これ以上の議論はいたしません。

それから、私であれば今回の議論に関係あるように『宗教的経験の諸相』を読むのであれば、岩波文庫邦訳では下巻の120頁・340頁あたりを挙げるべきかと思います。フィニーの回心体験は、ここでは関係ないです。再読をお勧めいたします。

投稿: ワンクリック | 2005年10月30日 (日) 14時59分

皇室を意味しているのではありません。聖書の引用なので、キリスト教会のことです。

女性天皇の件は、「皇室典範に関する有識者会議」の、近々提出される答申案について、賛成です、という意味です。もちろん、反対の人もいるでしょう。

下巻の120頁・340頁あたりですね。多様性は必要ですが、無限の多様性となると、どうなのかですね。宗教的信仰とか信念というものは、どこか排他的だと思います。しかし、その外の世界(宗教・教派・教団)の価値観と対話できるようでなければならないと思います。その論理は、それぞれの宗教・教派・教団が考えていると思います。そのような論理を持たない宗教・教派・教団は、私は余り好みません。

投稿: | 2005年10月30日 (日) 17時11分

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