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2005年10月 6日 (木)

自由意志

もし人祖アダムが罪を犯したことにより、人間に自由意志がなくなったとしたら、それは人間が人間でなくなることを意味するという危惧が存在する。物体には自由意志がない。動物にもないと考えてよいかもしれない。しかし人間にもし自由意志がないとしたら、人間に責任を問うことはできなくなる。人間が、一種の物に、そこでは変化する。しかし人間は人間のままである。それをどう説明するのだろうか。
カルビニズムで全的堕落という教義がある。一方、カルビニズムには一般恩寵により全的堕落にもかかわらず人間の堕落が食い止められているという理論もあり、これで人間が獣的存在に成り下がってしまわないという人間の現実を説明することができる。だから、カルビニズムでは、全的堕落と一般恩寵とはワンセットで考察しないと、人間の現実を表すことができない。この全的堕落という教理は半ペラギウス主義を追放したカトリック教会の公的立場に根ざしているのであろうが、そうとすれば、カトリック教会は、全的堕落の教理との間にある異論の根拠について自ら弁明しなければならないであろう。

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