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2005年10月27日 (木)

教育のあり方

暗記中心の受験用詰め込み教育の反省からゆとり教育へと転換し、学力低下が危惧されて、教育のあり方が問われています。ゆとり教育の導入には大切な視点があったと思いますが、効果がなかったようです。生徒の主体性を引き出すというのは難しいことなのでしょう。
ここでの教育とは、いわゆる学校教育です。しかし、その人の人生において、学校教育の比重はどれほどなのでしょうか。そこに価値を置くのも分からないではありません。日本の学歴社会の現状を思う時、学校教育は、卒業後の人生において、それなりに影響を与えています。卒業生たちは、ある意味で一生、クラス会、同窓会、クラブの仲間たちと、母校に縛られています。学校の卒業は一つの駅の通過ではなくて、人生を終えるまでの長い付き合いの始まりです。入学した時は、もちろん、そんなに長い付き合いが待っているとは思ってもみませんでした。
さて、教育というものは、国家によって、あるいは教師によって与えられるものではなくて、自分で選択していくものと思います。学校での日本史の勉強よりも、司馬遼太郎さんの小説を読んだ方が、どれほど日本史への興味を持たせてくれたか知れません。このような興味こそ大切と思います。教育というものは、与えられるものではなくて、自分で見出していくものではないでしょうか。学校を出ていなくとも、自分の生き方を見出して、自分の人生を送っている人の方が、どれほど幸福であるか知れません。学歴はなくとも、エジソンは幸せな生涯であったと思います。大切なのは、自分が幸福と思う生活を見出すことです。そして、その幸福を毎日、繰り返していくことです。このような基本的な生活パターンが出来ていない時、学校教育は余り意味を持たないと思います。生徒たちには、まず、このような生活の基本を教えることが肝心と思います。

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コメント

有名学校に行くことは予備校の目的かも知れないが、教育の目的とされるのではさびしい。経済的自立、精神的自立は直接的な教育の目的とされていないかも知れませんが、大切なことです。

投稿: | 2005年10月29日 (土) 13時24分

これからは一人が一つのブログを立ち上げて、インターネットに接続し、そこから自分の興味のおもむくまま、情報を入手する。それが教育のベースになるかも知れない。その時、やはり無限の情報を前にして選択の方向性を決めるのは自分とは何かという問いに対する回答だろう。だから、自己分析と自己認識は必要だ。その方法も教えてやらないといけない。それがあれば、その人は成長していくだろう。

投稿: | 2005年10月30日 (日) 06時49分

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