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2005年11月14日 (月)

諸教団の魅力

これは仏教でもキリスト教でも同じと思うが、教団人としては、他の諸教団の魅力という誘惑を感じることはないであろうか。その時、内心でゆれ動く信仰心に対して、どう処理しているのだろうか。
わがうちに、諸教団の魅力に目移りする感情があることを思うにつれて、われわれのうちには、所属教団というものによって自己限定されることに甘んじられない何者かがいるのではないだろうか。
教団には人間の作る部分もあるのだから、その限りでは相対的部分もあるはずである。しかし、歴史の中で、どこかで絶対化が起きる。それは間違いだから、批判勢力が生まれる。その声を聴いて、誠実に対応することが教団の健全化のために大切なのだが、その過程をおろそかにしてしまう。やがて教団が分裂する。こうして中世が終わったのであれば、その限りでは、これを是としなければならないであろう。そして、断片化した諸教団が誕生する。元来は一つであったのだから、この断片化した教団のどれもに魅力を感じるのは当然なのだ、と言えるのであろうか。

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コメント

ご指摘のような目の移ろいは、なんてことはない以前tenjin師の指摘したhttp://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/1c2855e3613610e2f3f6aacfc78e025f
この問題そのものではないですか?「われわれのうちには、所属教団というものによって自己限定されることに甘んじられない何者かがいるのではないだろうか」といった不思議な人格を設定しなくても、十分にフェミニズムで説明可能でしょう。

それから、ご指摘の問題は、またtenjin師がhttp://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/c912bee0fdcbc62cc33174f2bbf66d16
でも指摘しています。

参照されてみては如何でしょう。

投稿: ワンクリック | 2005年11月14日 (月) 19時09分

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