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2005年11月22日 (火)

米国の祖国愛

日本は急速に米国化しつつあるのだろう。そこで米国のことを知る必要がある。米国の祖国愛、米国の存在理由を考えてみる必要がある。
米国には日本のような古い歴史はない。17世紀、英国の教会のあり方に反発した人たちが、信教の自由を求めて移住した人たちの子孫だ。あの、巡礼父祖の精神が米国の、言ってみれば祖国愛の原点かも知れない。それ以前、米国という国は歴史上、なかったのだ。自由というのは、米国人にとっては自分たちの存在理由ともいうべき、第一の理念なのだろう。
日本との関係を顧みるに、ペリー来航の衝撃によって、徳川幕府は倒れた。封建社会は倒れた。階級社会は倒れた。結果的には日本は以前よりも自由になった。次に太平洋戦争で、米国は日本を負かした。結果として、国家神道の明治社会体制は崩れた。確かに軍部独裁の15年戦争時に比べれば、日本は自由になった。戦後の一時期、今では想像できないくらいの解放感があったという。日本と米国との歴史的に重大な関係は、この二つだが、いずれも、信教の自由を日本にもたらした、という結果を生んでいるように思える。
米国が今、世界に存在するというのは、このような「抑圧された人たちに解放をもたらす」という意味を持っているのだろうか。であれば、北朝鮮や中国や、その他、イスラム教の国などの指導者たちが、自分たちの国の体制を危機的なものにするとして米国の存在をむけたがるのも理解できる。
世界に自由をもたらすことを使命としているような米国には、その根幹にキリスト教という宗教がある。そこでは個人主義も欲望解禁、自由放任ではない別の展開を可能にしている。しかし、それのない国は、どうしたらいいのか。米国には、解放後、キリスト教を盛んにさせる道を選ばせようという意図があるのだろうか。実際、戦後、マッカーサーの選択には、その方法があったが、日本では長くは続かなかった。日本は象徴天皇制の中で、諸文化価値の共存の道を歩み、自由の弊害をおさえてきたともいえる。自由は絶大な価値かも知れないが、人間の本性を考えると、やっかいな価値でもあるのだ。幸い、日本では仏教のおかげで、人間の研究は盛んである。競争社会が弱肉強食社会にならないためには、文化価値を一層高める必要がある。本気で取り組む必要が出てきた。

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