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2005年11月29日 (火)

厭離穢土欣求浄土の心

徳川家康の出てくる合戦の場面で、「厭離穢土欣求浄土」と書かれた旗が家康の陣に翻っている。「現世(穢土)をきらい、死(浄土)をあこがれよ」という意味で、家康の宗旨である浄土宗の言葉だ。同じような言葉が聖書にもある。パウロは「死ぬことは益である」「わたしの願いを言えば、この世を去ってキリストと共にいることであり、実は、その方がはるかに望ましい」(ピリピ1・21-24)と言っている。

以前は、死について語ることはタブーであった。しかし、みなの関心事なのだから、取り上げなければならない。宗教者たちも、最近はがんがん語っている。いいことだ。

人は死に関しての解決を求めて、求道の旅に出る。解決が得られれば、いつ死んでもいいよ、という心境になるだろう。パウロは求道の旅ではなかったが、突然の回心により、その後、そんな心境になった。そこでは生の目的は、なくなっているのである。しかし、現に自分は生きている。では、どうしてなのか、何を目的にして生きるのか。そこで、彼は、「あなたがたのためには、さらに必要である」と、ピリピの信徒に対して言う。生きる目的は自分のためではないのである。自分のためには、生きる必要はない。なぜなら、死んだ方がいいと言っているのだから。悟りを開いた仏陀が説法に行く最初の気持ちも、似たようなものであったのではないだろうか。いや、仏陀は死後のことなど問題にしなかったかも知れない。

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