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2005年11月23日 (水)

教派の選択

宗教には、その中での枝分かれとしての教派、あるいは宗派というものがあります。何かの縁で、宗教に触れるといっても、それは教派としての宗教です。教派として、その宗教はわれわれに届いています。しかし、また何かの都合で、その教派を変えねばならないことがあり得ます。転会ともいいます。転勤とか、人間関係とか、理由はいろいろあるでしょう。その時、歴史的に互いに対立関係にある教派を選ぶ場合には、その人のアイデンティティは、いくらか危機に瀕します。
教派の中には、その宗教の一部を鮮明のするという役割があります。それはそれでいいのです。間違いではありません。しかし、その宗教には別の真理も含まれています。そして、別の教派は、その別の真理を主張します。こうして別の教派が生まれます。互いに論争します。もちろん、教派の人は、対立関係にある教派の人の中にも真理を認めて、止揚しようとはしません。それでは、歴史的教団が維持できないからです。
宗教の選択というのは、必ず教派の選択を意味します。その時、できるだけ包括的な教派の選択がよい、と私は思います。

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