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2005年11月 4日 (金)

中世社会の弁明

中世社会をコルプス・クリスティアーヌムと言ったり、その社会体制をコンスタンティヌス体制と言ったりする。プロテスタンティズムの雰囲気には、それに対する批判がある。政治と宗教の一体化、それによる腐敗、それは批判に値する。こうして近世・近代が生まれた。
中世の発端は、コンスタンティヌス大帝の回心である。彼は一人の人間ではあったが、同時に皇帝でもあった。こうして、キリスト教は帝国の中で、公認宗教となり、やがては国教となっていった。その過程で、教えが曲げられていった、体質が変化していったというのだが、E・フロムの「キリスト論教義の変遷」は、それを跡付けている。
宗教は布教し、宣教し、信徒を増やしていく。それが命でもある。その信徒の中に、世俗社会で絶大な権力を持つ人がいたら、どうなだろうか。宗教が「すべての人のため」である以上、そのような人も除外できないだろう。事実、宗教界トップの教皇は皇帝の上に位置づけられてしまった。これは教皇と、その共同体の第一義的に求めたことではなかったろうが、教会の意思を超えたところで何かが起き、それが教会に絶大な影響を与える結果となった。やがて帝国はすべてキリスト教の影響下に置かれることになった。これが中世社会であった。
われわれの生きている日本社会の憲法にある政教分離とは国教の禁止を意味している。従って、かつてのローマ帝国にような社会を望むことができない。しかし、それは宗教団体が政治活動をする自由と権利を奪っているのではない。こうして、日本では公明党の活動が認められている。創価学会が国教化を目指しているのであれば、まずは憲法改正から始めなければならない。日本では国教が認められていないのであるから、中世社会にはならないのである。中世社会的なのはむしろ英国である。日本の憲法は英国から移住した米国人の影響によるものなので、英国のような国教的発想は望まないのであろう。
さて、ローマ皇帝といえども一信徒である。その力が、果たして教会の教えを変えることにまで及ぶのであろうか。いや、その教えの純粋さは、中世の歴史の中で、たとえ見えなくとも存続していったのではないか。信徒は信徒なのだから。この点で分かれるのかも知れない。
新しき中世とは、もちろん、どこかでコンスタンティヌス大帝の回心を求めているのではない。ソ連の解体、無神論国家という実験の終わり、そのポスト・モダン社会を、あえて新しき中世という。だから、今の話なのだ。もちろん、中世の言葉を嫌う人たちは「ポスト・モダン」と言うだろう。

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