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2005年11月 9日 (水)

「笑い声の中」で

hitomiさんの「MARIA」の中に、こんな個所がありますね。

「笑い声の中を何度もさまよい 僕はやっと気づいた
人の理想の中でかろうじて生きるなら 今は愛を見つめ歩こうと」

この「笑い声」というのは、そのあとの「何度もさまよい」という言葉との関係で考えると、友情と理解にあふれた、元気を与えてくれる笑い声ではなくて、逆に嘲笑なのでしょうね。そこでは、「僕」はあざけられ、またいじめられているように思います。

生きるのが下手になって、異質なものとして、周囲の無理解に囲まれ、つきずきそうになり、それでも、何とか理想を掲げて、かろうじて生きようとしている。

今にも、吹き飛ばされそうな、そんな孤独な、社会から疎外された「僕」が、そこにいますね。なにやら、宮沢賢治の「雨にもまけず」の詩の主人公のような。「かろうじて生きる」もいいですね。われわれの生とは、本当に「かろうじて」といった危ういものです。その中で生を支えてくれるものを見つけた。愛という人生の目標を見出した。そこで生きようと決意した。見つめとは、その対象に集中しようということでしょう。そうしなければ、生きられない、とか。

この詞を思うと、何か、涙が出てきそうです。

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