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2005年12月25日 (日)

信仰の位置づけ

信仰義認という。救われる条件として、「信じる」ことをあげる。「条件」という言葉には、それは人間の能力のように見える。しかし、実際は人間の能力ではない。人間の無能力の承認なのである。
カルビニズムの5つの特質の最初に来ているものが「全的無能力」である。救いのためには、人間は全く無能力ということである。そこでは、「信仰」という条件、能力も否定しているように見える。確かに、改革派系の人たちには、そんな体質があるように思う。全的無能力のキーワードが、人間の側にも求められる「信仰」の「価値」を評価しないようにも受け取れるのである。
しかし、信仰義認の信仰とは、救いのための人間の能力を主張しているのではなく、全く逆に「無能力」を承認しているのである。救いのための人間の無能力の承認、それが「信仰」の意味である。そう考えれば、全的無能力と、救いの「条件」としての信仰の価値との間には矛盾はないのである。

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