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2005年12月 6日 (火)

世俗内禁欲

近世、修道院を廃止して、その禁欲的生活を世俗の中に移し、その世俗内禁欲のエートスが資本主義をつくった、その刻苦勉励的・禁欲的生活というものは、救いの確証という目的を持っていたのだと、マックス・ウェーバーはいう
さて、修道院の禁欲的生活というものは、外面的には確かに禁欲的に見えるのだが、最後の救いの確証を目指しているといった喜びのない生活であったのだろうか。そうとは思えない。そこでは聴くことの喜びがあり、その喜びのための禁欲的生活であったのではないか。禁欲は、喜びが自然にもたらした生活態度であり、得られるかどうか分からない喜びのための禁欲的生活というのは、少し違うように思う。
世俗内禁欲的生活というものは、生活の武装のように思える。宗教改革が始まり、旧勢力からの巻き返しも起きて、宗教改革の歴史を生きるために、どこかで定点を築く必要が出来た、その定点がルターをなお中途半端と批判したカルビニズムなのだろう。世俗内禁欲的生活というのは、近世への移行を決定的にするための戦闘態勢のように思える。

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