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2005年12月20日 (火)

学校教育の問題

私の高校3年の時のクラス担任は日本史の教師であった。自分でプリントを作成して、それなりに授業に努力されたと思うが、面白いと思ったことはなかった。
しかし、司馬遼太郎さんの歴史小説は無類に面白かった。日本史も、こうして教えられれば興味が出ると思った。しかし司馬さんの面白さは、教科書の授業からは生まれないだろう。
教師が教科書にそって教え、児童はそれを暗記する。それが教育だとしたら、教育は面白くない。当然、児童の学力は伸びない。学力低下を心配して、もう一度、記憶中心の学校教育に戻るのは問題がある。
大切なのは児童の好奇心であり、これは学校教育で萎縮させられてはいけない。問題を発見し、それを解決していく、その自発的活動が教育の中で重視されなくてはいけない。
問題を発見するというのは大切な才能なのではないか。なぜなら、探求は、そこから始まるのだから。問題を発見し、その回答を探す、そのサイクルが学校教育の中で大切にされ、奨励されるべきだ。学校教育の中で、児童たちに問題発見の志向性を重視する対策が考えられるべきだと思う。

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