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2005年12月20日 (火)

浄土はいずこ

厭離穢土欣求浄土、という言葉がある。仏教の言葉である。その浄土はどこにあるのだろう。まさか穢土ではあるまい。
キリスト教では、キリストの再臨は固く信じられている。キリストは再び、この地上に来るというのである。どういうふうに来るのかは、よく分からない。
ということは、この地球上が、キリスト教では天国になるのだろうか。余り、そのように考えたことはないのだが、あるいはそうなのかも知れない。
空のかなた、全く別の場所に天国、理想世界があるということで、「山のあなたの空遠く、幸い住むと人のいう。」という詩もある。こんな、漠然とした理解で、浄土とか天国を思考しているのではないだろうか。
確かにキリストは「天にあげられ」と書かれている。それは地ではない、という意味である。 しかし、キリストの再臨は、この地に来るという意味であり、そこで裁きが行われれば、この地が天国になるのではないだろうか。
厭離穢土欣求浄土、その浄土は実は穢土の中に実現する。キリスト教的に考えれば、そうなるのかも知れないが、仏教ではどうなのだろうか。

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