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2005年12月10日 (土)

創価学会の「宗教改革」

  かつて創価学会が日蓮正宗から分離した時、創価学会系の雑誌に「宗教改革」という言葉を見つけたことがありました。これは、もちろん、西洋の16世紀に起きた、キリスト教の宗教改革を指しているのでしょう。
  西洋の中世はキリスト教一色で、聖職者階級が支配していました。帝国の国教だったからです。そこからルターが出てきて、ローマ・カトリックという西洋中世のキリスト教に対抗して、プロテスタントという新しいキリスト教を生み出していったのです。 
 しかし、宗教改革がすべて正しく、中世教会がすべて間違いという前提に立つと、教会の歴史を叙述していくのが難しくなってしまいます。帝国の中で公認宗教になった、国教になった、そういう歴史的経緯を「間違い」と断定する歴史観がプロテスタントの中にはありますが、皇帝の決定に教会は反対できたのでしょうか。宗教は教団を形成します。そして、教団は歴史的存在で、それを否定することはできません。ただ、間違いであれば「謝罪」する道だけが残されています。ヨハネ・パウロ2世が、21世紀を迎えるにあたり、過去のカトリック教会の間違いを謝罪したように。しかし、過去の歴史的事実を否定することは出来ません。
 さて、ルターの宗教改革は教派を生み出していったのです。キリスト教の場合には、ニカイア信条によって分裂は避けるべきものという意識があります。しかし、宗教改革に端を発したプロテスタントの歴史は教派・分派を後から後から生み出していったという歴史を持っているのです。しかし、それではいけないということで、プロテスタントの中から、教会一致運動というものが生まれて、教派主義というものを克服しようということになったのです。しかし、教派主義というものは宗教改革の原理に隠されていたものでした。
 こんなことを考えていると、創価学会が、宗教改革を持ち上げるのは、ただ、ローマ教会に対抗して、自分たちの運命を切り開いていったプロテスタントの英雄的生き方を参考にしようということで、その後の教会史の冷静な評価から宗教改革を見ているのではないのかも知れません。
 もう一つ、創価学会のよく引用している言葉に「人間主義」という言葉があります。宗教改革時代に「人間主義」という言葉を使うとしたら、それはルネッサンスの賛美になってしまいます。それは宗教改革の神中心主義に対抗した別の流れの賛美を意味するのです。しかし、神という言葉のない創価学会の場合に「人間主義」というものは、最も高い価値を表す言葉なのでしょう。造られた世界の中で、人間が最高というのがキリスト教の教えでもあるからです。神を肯定し、同時に人間を肯定したのは、宗教改革時代のプロテスタントでもルネッサンスでもなく、中世のキリスト教(ローマ・カトリック教会)なのでした。創価学会の「人間主義」に対して、対抗的意識を覚えるのは、創価学会が持ち上げている宗教改革の宗教(プロテスタント)で、そのプロテスタントが戦ったカトリック教会の場合には、ヒューマニズム(人間主義)という言葉に、それほど抵抗を感じないのです。

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