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2005年12月 4日 (日)

美しい神

神を美と結びつけて考えたことはなかったが、これは間違いであったかも知れない。神は、通常は罪の許しと共に思考されている。啓示の側面である。それが中心で、そこがなければ、神の論議は、すべて意味がない。しかし、別の面もあるのではないだろうか。自然神学的側面である。その側面は、啓示とは区別されるが、否定され、排除されるものではない。
こうして、「美しい神」という考え方もありうるかも知れないと思った。美は、人間を動かすものである。ドストエフスキーに、そんな言葉があったかも知れない。人は美を求めている、といってもいい。であれば、第一原因でもある神が、美をもって人間たちを動かしている、とも言えるのではないか。その側面から神を考えることも許されていいのではないか。
ポール・ジョンソンは『神の探求』(共同通信社)の中で、聖トマスの主張には、絶対美としての神という考えがあるとして、天国では、この神の絶対美を知ることが出来る、という。「天国で何よりも私たちを恍惚とさせるのは、神自身の美である」(116頁)。
男性は女性の美人に遭うことを喜ぶであろうが、そんな美の最高のもの、絶対なものに、死後、天国で遭うことが出来ると思えば、死ぬことも楽しくなるのである。

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