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2005年12月16日 (金)

エクソシスト

朝日新聞朝刊(2005年12月16日)に、バチカン公認の大学で「エクソシスト」の講座が人気だという記事がありました。

以前、悪とは「善の欠如」ということで、そこには悪の積極性が出ていない、という疑問を感じたと書いたことがありました。このような考え方は、アウグスチヌスにあり、トマスにあり、カトリック教会の教えにある、ということで、カトリック教会に対する疑問を感じていたと書きました。しかし、カトリック教会の中にある「エクソシスト」は悪魔払いの専門家であり、悪魔という実体を認めていることが前提となります。まさに、悪は「善の欠如」といった生易しいものではなく、悪の主体性を、これほど認めたものはないと思います。これもまた、カトリック教会の一面なのでしょう。

記事によると、本物の「悪魔つき」は突然、知っているはずのない外国語を話す、と書かれていて、少し気になりました。初代教会で、異言という現象があり、信徒たちが聖霊に満たされて知らない外国語を話したというのです。今も、この現象はあり、この信仰を持つ教会をペンテコステ教会と言いますが、現象としては紛らわしい面があるのかも知れません。もちろん、ペンテコステ教会の信徒たちは真正のキリスト者と、私は考えております。

悪魔は、確かに聖書に書かれています。そして、天使と共に被造物でもあります。ここにもまた「善の欠如」を見るべきなのでしょうか。いや、悪魔は悪の塊なのだと見た方がいいのではないでしょうか。

若き日、評論家・長谷川如是閑は家の近くにあった福音教会のバイブルクラスに通ったそうです。その時の感想を、アメリカ人の牧師が「お伽噺のような聖書の講義をするのに心を打たれた」と言っています。21世紀の今日、エクソシストへの関心は、お伽噺とはまた違った感じを聖書に向けるきっかけになるかも知れません。深層心理学者の意見も聞きたいところです。

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