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2005年12月15日 (木)

ギリシャの代わり

古代ギリシャ哲学思想を抜きにして、中世は考えられない。そのギリシャがルターの実存意識の壁になったため、宗教改革により、近世は両者の分離を敢行した。
ギリシャはわれわれ日本の文化的伝統の中にはない。中世を知るにはギリシャを知らなければならないのだが、ヘブライ流の救いのために日本にギリシャを知らせることから始めるべきなのだろうか。
そうではないと思う。日本は西洋ではない、東洋である。そして、ここには仏教という思想がはびこっている。ギリシャの代わりは、仏教であり、それでいいのだと思う。ギリシャでは理性が重視された。理性の普遍性を思う時、ギリシャを学ぶことには意味がある。しかし、仏教には、ギリシャ以上の実存的問いがある。この実存的意識は、もちろん、ヘブライ宗教思想と深く関わるのである。
日本のキリスト教宣教が成功しているとは思わないが、その原因の一つはこの社会に広がっている仏教思想を無視しているためかも知れない。

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コメント

ケーベルの弟子たちは、ギリシャや中世に心惹かれた。しかし、そうした方向は、歴史的中世回帰への誘いを意味することになるかも知れない。新しき中世は、日本においては、ギリシャの代わりにインドを置いて、それとヘブライ思想との融合を目指したものになるのかも知れない。

投稿: | 2005年12月15日 (木) 10時09分

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