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2005年12月 5日 (月)

モンテーギュ学寮

 西欧近世史に関心を抱くものは、パリ大学モンテーギュ学寮に引きつけられる。というのも、ここにジャン・カルヴァン(1509~1564)とイグナティウス=デ=ロヨラ(1491~1556)が学んだからである。恐らく、この二人くらい、西欧近世史に強い影響を与えた人物はいない。宗教改革はルターが始め、カルヴァンが引き継いだ。カルヴァンの信仰を継承している改革派教会には、ルター派の改革は不十分という意識があり、改革派教会こそ宗教改革の徹底という自負がある。であれば、反対宗教改革のロヨラとカルヴァンは対極関係にある。

 『カルヴァン』(渡辺信夫著、清水書院)は、当時のモンテーギュ学寮に触れている。
 14歳のカルヴァンはパリに行き、大学で学ぶ。大学(ユニヴァシティー)はたくさんの学寮(カレッジ)の集合体であり、彼が二番目に入った学寮がモンテーギュの学寮であった。その理由は不明。この学寮は最も保守反動的であったと、著者はいう。

 宗教改革は1517年以来ドイツで進んでいたが、フランスにも、その波が押し寄せてくるとして、カトリック教会は宗教改革を論駁する理論闘争の担い手を養成し始めた。この活動で、フランスではノエル=ベディエ(~1537)は指導的人物であったが、その人物がモンテーギュ学寮の長になったのである。彼が学寮長を退いた後も、この学寮は彼の姿勢を続け、学生らに中世哲学と神学とを叩きこんだという。

 カルヴァンは、おとなしく勉強する優等生であり、1528年には文学士の称号を得て卒業している。ほぼ、同じころ、ロヨラがこの学寮で学んでいた。著者は「イグナティウスはモンテーギュで叩きこまれた型に全くはまりこもうとし、カルヴァンはここで教えられたことを踏み越えて自己の信仰と思想とを形成した」(前掲書 21頁)という。

 一体、モンテーギュ学寮での教育は、どんなものであったのか。ロヨラは、そしてカルヴァンは、この学寮をどう思っていたのか。そして、お互いを知っていたのか。

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