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2005年12月27日 (火)

遊牧型生活の回顧

アシジのフランシスコは遊牧型生活のチャンピオンであったのではないか。思えば、イエスもそうであった。彼らの無所有生活の幸福は、稲作型あるいは定住型生活者にも勝るものがあったのではないか。日本では雲水の生活もそうであろう。

さて、このような遊牧型生活の原点はアブラハムにある。彼は故郷カルデアのウルを離れ、幕屋の生活に入った。幕屋だから臨時の生活であり、ある意味では遊牧生活である。

「信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。信仰によって、他国にいるようにして約束の地に宿り、同じ約束を継ぐイサク、ヤコブと共に、幕屋に住んだ」(ヘブル11・8-9)

彼らは、地上では「旅人、寄留者」と考えていた。それはふるさとを求めていたからだ。そのふるさとはどこにあるのだろうか。

「もしその出てきた所のことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう。しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった」(ヘブル11・15-16)

天を目指し、再び、地上の故郷に帰らなかった。天の故郷を目指す遊牧生活、それが信仰者たちの生活なのかも知れない。

そう考えると、中世社会の崩壊にもあるいは、意味があるのかも知れない。中世社会は定住社会であろう。その中で、無所有生活は修道会に可能であった。しかし宗教改革で、その定住社会が崩壊し、遊牧型生活が一般化していく。その中で、激しく天を目指したピューリタンたちが、英国の改革にも異議申し立てを行い、米国に移住し、やがて地上に巨大な権力を持つ国を作った。彼らは見えない天の故郷を目指しつつ、富によって地上に諸民族をひきつける国を作ってしまった。そこには弁証法的な逆説が見える。見えない国を目指していたが、見える、富める国が出来てしまったのだ。

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