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2005年12月23日 (金)

待降節

昨日と今日、ラジオ深夜便で、加藤常昭氏の話を聞いた。クリスマスにちなんだ話で、原稿を読んでいるような話しぶりであった。最後に、わずかの時間、聞き手との対話もあるのだが、そこでも実に過不足のない内容を話されていた。クリスマス説教としては、よく考えられた最高の質を私は感じた。
その話の中で、クリスマスの前にある待降節には、同時に再臨を待つという意味もあるのだと言われた。初めて知った。
「降」の意味を考えた。イエスの降誕があり、そして再び来るという再臨。再臨はこれからのことで、再臨の意味を込めれば、今の教会にも、待降節はクリスマスを迎える意味だけでなく、違った真剣さを帯びるだろう。
しかし、その二つの間に、もう一つ、「降」があった。それは聖霊降臨である。過去には「イエスの降誕」、現在は「聖霊降臨」、そして将来に「キリストの再臨」、こう考えると、神は常に、われわれのもとに来ているのである。
加藤氏は、イエスの降誕と再臨に触れられたが、聖霊降臨には言及されなかった。しかし、この点が語られないと、後の二つが結びつかないのではないかと思った。
イエスの降誕は、聖霊降臨の原因として、今のわれわれには大きな意味を持っているのである。この点では、私はペンテコステ教会に近い感覚を持っている。

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