« ミニ・バブル | トップページ | 歴史のリセット »

2006年1月 5日 (木)

歴史小説

辻邦生さんの『安土往還記』(新潮文庫)を購入した。歴史小説とは、こういうものだと、改めて思った。しかし、同時に、途中で読書を投げ出したい気持ちも出てきた。歴史小説は、こうだから興味がないのだ、と昔の自分が言っているようだった。それは司馬遼太郎さんの小説と比較したからである。辻さんの歴史小説の方が、司馬さんのものに比べて、歴史小説としては完成度が高いのかも知れない。司馬さんの歴史小説を読んで、びっくりしたのは、これが歴史小説なのかという定義も問題でもある。「余談ながら」と、途中で自分の感想などが加わる。『安土往還記』には、そんな個所は一度も出てこないのである。
しかし、私は司馬さんのやり方でいいのだと思う。どんなに完成度が高くとも、読者に読まれないのでは、書物本来の意味が薄れるではないか。
私は、歴史小説なんだということで、司馬さんの小説は長い間、読まなかった。ただ、対談とか評論とかは、読んできた。しかし、文庫で何冊も続く長編歴史小説を、つまらなかったら1冊で終えよう、と思って、読み出した。そしたら、1冊目の半分くらいを読んで、やめることができなくなった。こうして、大体すべての長編歴史小説を読んだ。そこには、頻繁に「余談」があった。
現代人は、どこかでジェネラリストになることを求められている。歴史の断片を描いても、それだけではなく、他の歴史との比較とか、現代人の生き方とか、いろいろな目配せが必要とされている。司馬さんの小説には、それがふんだんにあった。しかし、典型的で歴史小説の完成度としてはむしろ高いと思える『安土往還記』には、それがない。
司馬さんの小説は、小説なのだろうか、という疑問もあったらしく、自分でも、そう言っている。そして、小説は何でも入れることの出来る器という自分なりの解釈の中で、これでいいんだと思ったらしい。司馬さんの定義でいけば、誰でも小説家になれるだろう。そして、そんな人が出て欲しいと、時代は願っているのかも知れない。

|

« ミニ・バブル | トップページ | 歴史のリセット »

コメント

作家・辻邦生さんの作品にキリシタンもの、キリスト教関係の作品がある。二つは、どこに接点があったのだろうか。辻さんは、哲学者・森有正さんとも交流があったらしい。森さんはプロテスタントだけれど、カトリック系の高校出身だった。

東京新聞(5月19日)の14面「言いたい放談」で、山本普也氏(映画監督)が、こんなことを書いている。
「長崎県五島列島、約二百の島々、隠れキリシタンの里伝説。『辻』名が多くあるそうな。悠暉くんによると、『辻』の名字に『十』があるのは、十字架の意味だそうです」

悠暉くんとは、東京・中野区在住の小学校五年生の男の子とのこと。

投稿: | 2006年5月19日 (金) 09時02分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/104898/8011878

この記事へのトラックバック一覧です: 歴史小説:

« ミニ・バブル | トップページ | 歴史のリセット »