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2006年1月17日 (火)

中東問題

イスラエルという国が連日、マスコミの話題になっている。中東和平に日本も関心を持っているが、それは、石油の産地でもある、その地域に混乱が起きれば、エネルギー問題が世界的に、そして日本でも起きるからでもある。しかし、米国では、この国に対して、日本とは別の関心もあるのではないだろうか。

米国の建国はピューリタン移住民によるものであった。当時の宗教問題がからんだ世界的な移住であった。英国国教のローマ寄りに我慢ならない人たちが移住した。世界の歴史の中で、類似なものを探した時、イスラエルのエジプト脱出しか思い当たらなかったかも知れない。エジプトを出たイスラエルはかつての故郷を目指した。そしてエルサレムのある、その約束の地に定住した。英国を出た移住民たちは、当時の英国を、あのイスラエルの人たちが苦しんだエジプトに見立てたのではないか。こうして「出エジプト」で移住した米国を「約束の地」と思ったのではないか。米国は、今、世界の大国となった。

ところで、紀元70年、ローマ軍によってエルサレム神殿が破壊され、世界に離散したユダヤ人たちは、あの大戦の試練を超えて、約束の地に国を造った。これもまた、ある意味での、2度目の「出エジプト」ではないのか。であれば、同じ、「出エジプト」で国を造った米国とイスラエルが、何か強い共鳴で結びついているのかも知れない。日本人には分からない意識が働いているように思う。

日本人としては、個人的な移住はあるが、宗教的理由による団体的移住は歴史的にないし、これからもないだろう。もっとも、幕末、そんな計画があったかも知れない。しかし、日本人としては、この地を「約束の地」と考えて、理想的な国造りをしていくような可能性しかないのである。であれば、どんな宗教団体でも、この地におれるようにしなければならないし、また、宗教団体には、日本という「国のかたち」に対する理解と受容が必要とされるのではないだろうか。

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コメント

宗教問題で、外国に移住した例としては、秀吉の時代の高山右近くらいでしょうか。その後、日本はキリシタン禁教が徹底して、信徒たちは棄教するか地下の人になるか二者択一をしなければならなかった。地下の人とは、信仰を隠すという意味と共に、江戸時代の士農工商の外に流れたということを言う人もいます。
要するに、日本人としては、体制と対立した信仰を持った時、それを保持しつつ外国に行くという可能性とか選択が困難ということです。
今、NHKの大河ドラマで、あの信長・秀吉・家康の時代をやっているのですが、これまでも、あの日本の見える部分を何度もなぞってきているという感じですね。その中で、隠れキリシタンというのは、日本の見えない部分なんですが、それもまた日本なのですね。しかし、光が当たらなければ見えないし、光を当てる意味があるかどうかが分からなければ、あえて試みないであろうし、こうして、キリシタン、カトリック、キリスト教というものは、日本人の意識の深層で拒否されているような気がします。これが日本でキリスト教が伸びない理由なのではないでしょうか。

投稿: | 2006年1月17日 (火) 13時57分

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