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2006年1月24日 (火)

近代人の自我

近代人の自我の問題は、中世バイバイの中で、それが内包していた病気が少しずつ明らかになってきた結果であるともいえる。歴史が近世に移った時に、その解決をトマス・アクィナスにおけるアリストテレスに求めることは出来ない。中世バイバイの理由の一つは、権威・アリストテレスには魂の救いのための薬はない、という思いにあったのだ。病めるルターが、アリストテレス批判を展開した理由はここあると見れば、ルターの洞察に同意することは容易であり、今でも、その洞察は生きている。
第二バチカンが、そんな歴史的中世を引きずっている現代教会の枠を崩したのは正しかったのかも知れない。成聖の恩恵とかも助力の恩恵といっても、現代の信徒には、なにやら分からぬだろう。しかし、時には、昔の「公教要理」を読んでみるのも参考になるかも知れない。
それでも、私は、歴史的中世がプラトンではなく、アリストテレスにシフトしたことには理由があると思っている。帝国の上にあって、地上の国を治める道具を探した時、プラトンよりもアリストテレスの方が道具として使えたという理由があったのだろうと思う。

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