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2006年1月17日 (火)

救いの理解

救いの理解に関して、プロテスタントで二つの理解があります。従来は対立的に捉えてきたのですが、あるいは、どちらでもいいのかも知れません。ここでは、救いとは、1階から2階に行くことを意味します。
一つは、こうです。
1階から2階に行くために、はしごがあります。しかし、はしごがあっても、2階に行く意志がなければ、行けません。人が2階に行くには、はしごの存在と、人の動機の二つが必要です。まあ、普通の考え方かも知れません。この場合、宣教者の仕事というのは、はしごの存在を知らせるということです。はしごは福音です。その人に動機があっても、はしごがなければ2階に行けませんから、はしごを与えてくれた神を賛美し、人に救いの究極的原因があるとは言えません。
もう一つの理解は、こうです。
神のなさることは、2階に行こうという動機を人に与えるということです。神の意志は必ず実現します。だから、その人は必ず2階に行くのです。その過程の中で、はしごが存在していて、人ははしごを使いますが、2階に行けた理由は、はしごがあるというよりも、2階に行くという動機がある、ということであり、それは神の与えたものというのです。これも、救いの原因は、動機を与えた神ということになり、人ではありません。
私は最初の理解をしたいのですが、あとの理解でもいいような気がします。ということは、両方とも真理といことかも知れません。

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コメント

最初の理解の中には、はしごの存在を中心にする考え方と人の動機を中心にする考え方がありますね。はしごは現在では最初から存在しているので、かつてなかった時もあるとは考えにくい。しかし、その時を考えるのは大切なことです。しかし、はしごではなくて、動機中心の考え方もあります。その場合は異端になりますね。アルミニウス主義がそう考えるのでしょう。それに対して、はしごに視点を移す時、正統信仰を保持しますが、ウェスレーの信仰がそれなんでしょう。ウェスレアン・アルミニウス主義なんていう場合もあります。
あとの理解はカルビン主義の道ですね。
この二つの区別は、元来、カルビン主義とアルミニウス主義の区別であり、アルミニウス主義の中でカルビン主義の正統信仰を受容したのがウェスレアン・アルミニウス主義なのかも知れません。

投稿: | 2006年1月17日 (火) 08時08分

1階は火宅なんですね。だから、動機は自然に出てくると思います。しかし、はしごに解決を求めるか、消防という対策を考えるかの違いがあるでしょうね。消防対策が自然かも知れません。であれば、はしごという動機は生まれません。多くの人はだいたい、消防対策の動機を持つことになるのでしょう。

投稿: | 2006年1月17日 (火) 10時14分

1階が火宅であれば、2階もそうなるから、2階も安全ではないというのは現実社会でのこと。ここでは比喩として、言っています。

投稿: | 2006年1月18日 (水) 22時12分

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