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2006年1月25日 (水)

一神教への批判

梅原猛氏や山折哲雄氏の本を読むと、一神教への批判の言葉が時々あります。
一神教といえば、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の三つなのです。根本は民族宗教のユダヤ教です。ユダヤ教の聖書(旧約聖書)は一神教の原点のようなもので、他の二つとも尊重しています。
キリスト教はユダヤ教の分派のようなものとして成立し、やがて民族の壁を超えて世界宗教になっていきました。イスラム教は、のち一人の人物の新しい啓示が加わり、こちらも世界宗教になっていきました。
一神教への批判というのは、恐らく他の宗教・思想に対して寛容でない、という点にあるのではないでしょうか。ユダヤ教の世界は知りませんが、掟が今も厳然とあるといいます。その世界を経験して、掟を守れないのが罪人とすれば、きっと、「自分は罪人」という理解はすぐ起きるのかも知れません。幸か不幸か、われわれには、そんな掟はありません。あっても緩和されたものでしょう。そんな一神教の厳格さを思う時、日本と言う精神風土の中にいる我々も一神教への批判に違和感はないかも知れません。そして、そんな一神教を批判して分離したキリスト教であれば、一神教批判即キリスト教批判と受け取る必要はないのかも知れません。
神は無限、人は有限、従って人の知識も有限。であれば、人の知った真理といえども、神の真理の一端であって全部ではありません。しかし、その真理の一端を、あたかも全部のように見立てて、人はよく喧嘩します。教派主義の弊害です。「群盲象を撫でる」の格言は真理をついていると思います。教派はいいと思いますが、他の教派の教えも謙遜に理解しようとする心の余裕が欲しいと思います。それは、自分の教派の真理への不忠実にはならないと思います。一神教批判を教派主義批判と受け取れば、思い当たるふしは多いのです。内村鑑三の教会(プロテスタント)批判にも、その点が含まれています。それは、また現在の問題でもあると思います。

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