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2006年1月11日 (水)

『坂の上の雲』

司馬遼太郎さんは、『坂の上の雲』の映画化には慎重であったらしい。誤解されて、変な自信が生まれて、戦前に回帰することを恐れたのだろう。しかし、夫人は、後に変な映画となるよりは、と思い、承諾されたと、以前、何かで読んだ気がする。
『坂の上の雲』は近代日本の讃歌なのである。その近代は、日露戦争の勝利からおかしくなり、坂を下り始め、太平洋戦争の敗戦で底に達した。そんな歴史観を司馬さんは持っていたかと思う。その時、坂を下り始めた時から底に達した時までを、近代日本の挿入部分と見たら、日本は、なお近代を続けることになるのである。それは誤解、誤読である。司馬さんが、そう思ったかどうかは知らないが、「新しき中世」の歴史観では、現代日本は近代の延長ではないのである。近現代といって、近代と現代を区別する。現代を近代の中に包摂することは、違うのではないだろうか。その違いをしっかり見据えることは大切なことであるように思う。

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