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2006年1月22日 (日)

母性原理

作家・故遠藤周作氏は、キリスト教における母性原理の強調で知られている。彼が内村鑑三を積極的に評価した文章を、私は知らない。私は内村の積極的評価をためらわないが、遠藤氏は、むしろ、批判していたように思う。内村は、遠藤氏にとっては、キリスト教の父性原理強調の象徴的人物に映ったのだろう。

これは、遠藤氏のキリスト教がカトリックであることと無縁ではないように思う。カトリックでは聖母マリアの信仰上の位置づけがあり、プロテスタントには、それがない。カトリックでは祈りはイエスのほかマリアにも向けられるのだが、プロテスタントではただイエスにのみ向けられるのだ。

マリアは女性であり、イエスは男性である。イエスは、自分に祈りが向けられるのを拒否されてはいないが、祈りを聴くのは女性がふさわしいのかも知れない。いや、母性がふさわしいというべきだろうか。観音様も女性であり、同じようにマリアも女性である。母性原理の中で祈りが聴かれるのであれば、祈る方でも、なにか安心するものがあるのではないだろうか。

聖書では、イエスに「父」はいない。母はいて、マリアである。しかし、イエスは神を父と呼ぶ。イエスに人である父がいれば、祈りで「父」と呼ぶ時、人である父と、神である父との間で、紛らわしさが残るかも知れない。しかし、母はイエスの真の母であり、二人には連続性がある。マリアの母性を通して、イエスにつながり、イエスが父に祈る。そんな祈りの経路・道筋があってもいいのではないか。もちろん、マリアの人間性とか母性においてではなくして、イエスにおいて、その神性において、何事かが起きるのではある。

祈りを誰に向かってするのか、そう考えた時、父性にではなく、母性に向かってなされる。ちょっと、そんなことを考えてみた。マリアと観音も女性であることは、そのことをを表しているのではないかと思った。

そして、キリスト教における母性原理の強調は、大切な要素と思った。遠藤氏の再考を促されたのである。

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コメント

はじめまして。
昨年末からこちらのブログを読ませていただいております。毎日いろんな角度から宗教、とくにキリスト教について思考しておられ、興味深く拝見しております。
今後とも楽しみにしておりますので、よろしくお願い申し上げます。

投稿: 草野乃局 | 2006年1月22日 (日) 16時14分

お役に立てば、うれしいです。生きることと死ぬことについて、これからも考えていきたいです。

投稿: | 2006年1月23日 (月) 10時50分

管理人さんは、カトリック信徒ですよね。
信徒であるならば、洗礼の際に必ず「使徒信条」を神に誓ったはずです。神の御前で
「父のひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。」
と宣言されたはずですが。
また、天使祝詞のおしまいの祈りの
「神に祈ってください。」
もおわかりだと思います。私たちはマリア様に取次ぎをお願いして、イエス様に祈るのです。

>カトリックでは祈りはイエスのほかマリアにも向けられるのだが、

は、カトリックを知らない方にとっては、誤解を招く表現ではないでしょうか。

投稿: jyakuzuregawa | 2006年1月23日 (月) 16時02分

私は、ただ、ごく一般的な観察を述べたまでのことです。天使祝詞(文語)の内容は次のようです。

めでたし聖寵満ち満てるマリア、主御身とともにまします。御身は女のうちにて祝せられ、ご胎内の御子イエズスも祝せられたもう。天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終のときも祈り給え。アーメン。

これはマリアに対しての祈りと思います。

一方、日曜のミサの中で祈りはありますが、マリアに向けられた祈りは通常は、ないと思います。イエス・キリストによって、父なる神にささげられています。

マリアに祈ったとしても、マリアは神ではないのですから、単独で救いのわざをするのではないのです。この点ははっきりしているのだから、問題ないと思います。もちろん、マリアを女神のように考える人がいても、それはその人個人の問題であって、教会の中では禁じられると思います。

投稿: | 2006年1月23日 (月) 18時07分

信徒である以上は、一般的もなにもないと思います。「カトリックの教えを信じる者」であるから「信徒」です。
信徒にとっては、マリア様を神とするのは、自分が信じているカトリックの教えを信じていない、つまりうそをついたことになると思います。
禁じるというより、自分で教会の教えを信じて受け入れるから、信徒なのだと思います。
教会の中か外かは関係ありません。
 天使祝詞は、文語体でも口語体でも、祈りの中ではっきりと「私たちのために祈ってください」と表わしています。マリア様がもし神であるなら、マリア様自身が祈る必要はありません。
 尚、主日のミサ前やミサの閉祭の儀の後に、教会では「お告げの祈り」をしています。

投稿: jyakuzuregawa | 2006年1月23日 (月) 20時11分

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